「死ぬ時は本名で死にたい」と言って桐島聡を名乗る男がきのう29日朝、入院先の鎌倉市内の病院で亡くなった。70歳。末期の胃がんだった。1974年、75年に起きた連続企業爆破事件で指名手配されていたのが桐島。49年間も逃走していたことになる。いったいどういう人生だったのかと思わざるをえない。 桐島は過激派「東アジア反日武装戦線」のグループ「さそり」のメンバー。広島県出身で明治学院大に入学後「さそり」のメンバーになった。「東アジア反日武装戦線」には「狼」「大地の牙」「さそり」の3つのグループがあり、メンバーの大半は警視庁に逮捕されたが、桐島はずっと逃亡を続けた。 実は俺が警視庁詰めで警備公安を担当していた82年、桐島と一緒に「さそり」のメンバーだった宇賀神寿一が逮捕された。指名手配されてから7年後のこと。捕まる直前まで竹橋の新聞を配達する販売店に住み込みで働いていた。宇賀神の顔を見知っていた捜査員が集会で発見し後を付けて逮捕に至ったという。 販売店に勤めていただけに、公安部の幹部からキャップに「対応を考えた方がいい」と正式発表より早めに通告があり、俺は板橋の販売店に上がり込んで勤務の様子などを取材していたら、表がテレビライトで煌々と照らされ裏口から逃げた記憶がある。その宇賀神氏はすでに刑期を終え、社会復帰しているとか。 内田洋という偽名で藤沢市の土木会社に数十年前から住み込みで働いていたという桐島。指名手配の写真からは想像もできないくらいガリガリに痩せていて、死期を悟って病院関係者に自ら「桐島だ」と名乗ったのだろう。この49年間の足跡を本人から聞けないのは残念だが、「事件の解明困難に」とした毎日の見出しはいただけない。もう誰も解明なんて望んでいないもんね。 × × × × あすは年長組による平日ゴルフのため”明日休診”です。さて、どんなプレーができるか楽しみ。 |
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