隠居志願のつぶやき2017

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...... 2017年08月08日 の日記 ......
■ 甲子園   [ NO. 2017080801-1 ]
 台風5号で1日順延した夏の甲子園が始まり、何十年ぶりかで開会式の模様をテレビで見た。第一試合、滋賀の彦根東が9回6対5のサヨナラ勝ち。赤備えで知られる彦根東のアルプススタンドが真っ赤に揺れた。
 てなことを書いていて、俺は高校野球はあまり好きじゃないのである。高校生のスポーツはいろいろある。ところが新聞などは高校野球に紙面を割き過ぎる。マイナースポーツ(中高は剣道、大学ではバドミントン)をやっていた俺は、野球一色になるところが嫌いなのだ。
 記者になって最初の夏の取材は高校野球と相場は決まっている。ところが俺は同期の悦ちゃんが軟式野球をやっていたため、球場取材を免れた。6年間いた福島時代、信夫ヶ丘球場に一度も足を運んだことがないのだ。
 それが社会部に上がって八王子支局に行った途端、高校野球担当となった。東京西大会を一人でこなす。プロ野球中継を見ながらスコアブックのつけ方を勉強した。写真部が応援に来てくれないので、アルバイトに中大の写真部のアンちゃんを雇った。彼と二人で府中、昭島、福生、八王子の4球場を転戦した。
 1980年の夏。涼しい夏で都立国立があれよあれよという間に勝ち上がり、都立初の甲子園出場が決まった。あれが暑い夏だったら年間合宿200日の日大三高などにやられていただろう。
 一方、東京東大会はまだ国分寺に引っ越してくる前の
早実が優勝した。おれは国立と早実の2校を持って甲子園入りしたのだった。国立は初日に簑島に5−0で敗れた。スタンドはそこここで同窓会のムードだった。
 早実の下馬評は高くはなく、あっさり敗れると思っていたが、秘密兵器が1年生投手の荒木大輔。優勝戦まで行き愛甲を擁した横浜に6−4で惜敗した。その瞬間、頭の中が真っ白になり何を書いていいのかわからなくなった。京浜決戦となったため大阪本社の人らはやる気がなく、バックネット裏で原稿を書きだしたら足元で掃除が始まる始末。しょうがないので早実の宿舎でまとめの原稿を書き、そこから送稿した記憶がある。
 荒木は春夏5回甲子園に出場したが、1年生の時のピッチングが一番良かったと知り合いの運動部員が言っていたなぁ。大輔がはやり名前になったのも荒木大輔のおかげである。
 東京大会を一緒に戦ったカメラマンの卵、堀内君はその後東京新聞に入り、写真の部で業界最高の新聞協会賞を2回も取った。その夏から17年後、夕刊のコラムに「俺も優勝戦に出た」という思い出話を書いたのだった。それでも、冒頭に書いた理由で高校野球はあまり好きじゃないんだよね。Content-Disposition: form-data; name="image"


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