44年余の宮仕えを卒業しましたという挨拶状を出したら、すでにリタイアした何人かの知り合いから「酒を飲みませんか」という連絡があり、おとといの夜は銀行マンだったHくんと彼の行きつけの新宿の居酒屋で一献傾けた。 彼と会うのは2コ後輩のMくんの葬儀以来だから6,7年ぶりか。Hくんと知り合ったのは今から30年も前の日銀担当だったころ。竹橋の新聞社のメーンバンクだった今は亡きS銀行の広報マンで、同じウサギ年生まれで長岡出身ということもあり(俺も当時の本籍は新潟県)気が合った。俺が芝刈りデビューしたのはS銀行が接待用に持っていた茨城県の名門コースでHくんが手配してくれたのだった。あの時は150近く叩いたはずだ。 Hくんは名古屋の大店の支店長を務め、51歳の時リース会社に天下り10年。その後は支店長時代に付き合いのあった会社の監査役を務め、おととし完全リタイアしたとのこと。いまは裁判所の調停委員で、月に5回くらい出ているとか。 銀行マンだったとは思えぬアロハシャツ姿で現れたHくんは昨年、趣味のマラソン中に心臓がおかしくなり、ステントを2本入れているのだとか。そりゃ、カンのレキを過ぎれば誰でもどこかおかしくなるわな。 完全リタイアが迫った時、行くところがなければと古代史、お料理教室、経営学の講座に月曜から金曜まで通う計画を立て、まじめに一年通ったが、自宅で料理を作ったのは「1回だけ!」とか。 「せがれの一人を新聞記者にしたかった」というほどジャーナリズムに期待しているHくん。「最近政権の機関紙化した読売」にはいたくご立腹だった。 「人さまのお金をお預かりする銀行員が人さまより安い給料だったら、預けられないでしょう、と言ったのはあなただったっけ?」と長年の疑問をぶつけたら「私がそんなことを言うわけがありません」だと。
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