隠居志願のつぶやき2017

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...... 2017年08月17日 の日記 ......
■ 労働力の切り売り   [ NO. 2017081701-1 ]
 長年働いてきたが、労働という観念は一度も持ったことはなかった。俺らが社会に出た1973年当時はまだ「造反有理」の学生運動の気分が残っており、営利のために働くというのを潔しとしない雰囲気があった。で、社会正義の実現のためと新聞記者を志望したのだが、高倍率は分かっており簡単に合格するとも思っていなかった。それでも一般企業を滑り止めに受けることもなく、マスコミの入社試験を軒並み受け「貴意に添い難し」と言う連絡に何度も涙した。
 バドミントンのダブルスでペアを組んでいたE君は大阪読売に入り、社会部長から役員にもなった男だが、彼の選択にはなるほどと思わされた。滑り止めにサントリーを受け、見事合格した。その時の理由がふるっている。「お酒の会社だから少しは世のためになるんじゃないかと思って」。いまはマスコミ人気凋落の時代だから「なんでサントリーに行かなかったの?」と思われるだろう。
 俺も日経、朝日、大阪読売、中央公論社と立て続けに受けて落ち、オヤジに「お前はマスコミには向いていないと判定されたのだ」と言われ、8月になってもう4月に採用を終えていた伊藤忠商事の門を叩き、単独で受験させてもらい、拾ってもらった。竹橋の新聞社には卒論も出した4年の2月に追加募集で引っかかり、伊藤忠には一世一代の大嘘をついてあこがれの新聞記者になった。この話を今のアルバイト先の女性上司にしたら「伊藤忠に行けばよかったのに……」と不思議な顔をされた。そうじゃないんだよね、俺たちの世代は。
 で、労働の噺である。体力的にはきつい新聞記者家業だが、労働と言う感じは全くなかった。しかし、今の週3日の校閲の小銭稼ぎのアルバイト仕事は、労働力を時給いくらいくらで切り売りしている気がする。肉体労働ではないけれど、一日の作業が終わると、きょうもこれでいくら稼いだという気持ちになる。働くというのは尊いことだねぇ。それなりに神経も使うので、めっきり白髪も増えた。栃木での居眠り付き座敷牢暮らしが楽過ぎたもんね。労働の実感なく40年も記者稼業を続けられたのは、ほんに幸せなことだったとつくづく思うな。
 

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