「福永」姓と聞いて、俺がすぐ思い出すのは作家、福永武彦である。学生時代「草の花」とか「死の島」なんぞに浸ったことがある。そのせがれが「スティルライフ」で芥川賞を取った池澤夏樹。幼いころ両親が離婚して、再婚した母親の下で育ったため、池澤は父が福永武彦であることを、高校まで知らなかったという。俺は池澤の熱心な読者ではないが、「スティルライフ」は読んだし、「叡智の断片」というのを書評で取り上げたこともある。 しかし、古くからの競馬ファンなら福永で思い出すのは、天才ジョッキー、福永洋一(69)だろう。1970年から78年までの9年連続、年間最多勝を記録。その騎乗ぶりは「洋一は何をするか分からない」と評されるほどだった。だが、30歳の79年3月、毎日杯で「マリージョーイ号」から落馬し、舌の3分の2を噛みきる事故に遭い意識不明となった。ほどなく洋一は中央競馬983勝でターフを去り、リハビリを重ねる日々となった。 事故の時、洋一の長男祐一はまだ、2歳。この息子が父のあとを継ぎ、96年中央競馬の騎手となった。父を覚えている競馬関係者から、祐一は可愛がられ有力馬の騎乗依頼も多く、その年の最優秀新人ジョッキーとなった。 祐一は競馬の祭典、日本ダービーには98年のキングヘイローで初出場。しかし、ダービーは簡単に勝てるレースではない。そして、昨日の第85回ダービーに41歳になった福永祐一は5番人気の大外17番ワグネリアンに乗った。ダービーには19回目の参戦だった。 俺は昨日、東京競馬場メーンスタンドの18番柱中段のところで、ダービー出走1時間半前から好位置を確保していた。先週末つぶやいた通り、1番人気ダノンプレミアム中心の馬券を早めに買い、10万人以上の観客で身動きが取れなくなる前に、レースがよく見える場所から絶対動かない覚悟を決め、立ち続けた。 ワグネリアンは俺の教科書には本命の◎がついていたが、いやだなとは思いつつ、軽視した。だって、もう1・5・8・12・16・18で買うと宣言してしまったのだ。スタート30分前に大スクリーンに3時現在の入場者数118475人の表示が出て、場内が沸いた。この時1−18を狙っていた俺は、入場者数は当たったが、本番は?という気がした。 レースは皐月賞馬の4番人気、12番、エポカドーロが引っ張り、俺の本命1番も上位にいたが、直線でなかなか伸びず、いつもより早めに前にいたワグネリアンが12番をとらえてゴール。祐一くん、ダービー初制覇だ。何度も馬の首筋に額を当て涙にくれた。 3位に16番人気の馬が入ったため、ダービー史上最高の三連複52万馬券、三連単285万馬券となった。祐一くんがデビューした時は馬券から足を洗っていた俺は、39年前に落馬して引退したオヤジ、洋一が一番喜んだのではと思った。 |
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