隠居志願のつぶやき2017

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...... 2018年09月26日 の日記 ......
■ ブラタモリ宇都宮篇   [ NO. 2018092601-1 ]
 きのうの夜中は「ブラタモリ」の再放送を観た。宇都宮篇である。4年間暮らした街で、市の中心部ならチャリでどこでも行けた。坂道が大好きなタモリにどこを紹介するのかと思っていたら、なるほどなるほどの内容だった。
 新幹線を降りての宇都宮駅前で届いた「タモテ箱」には「江戸のためになる宇都宮」だったか。まず立ち寄ったのが駅から西に1`、下野一の宮である二荒山神社だ。俺がいたマンションから200b。大鳥居をくぐって95段の階段を登ると、真南に宇都宮城址、その後ろに関東平野が一望できる。俺は95段がつらくて、4年間でこの神社にお参りしたのは十回もない。何度もチャリで通った道が映され少々懐かしかった。
 そこから南に1`の宇都宮城址へ。徳川将軍の日光社参の宿泊所になっていたため、城主は二の丸に居住していたという話は初耳だった。栃木の新聞社では3年前か、東京から日光まで歩く「日光社参」のプロジェクトに取り組み。俺も日光東照宮へのお終いの300bを一緒に歩いた記憶が蘇った。
 城の西方に城下町を広げたため、本丸と同じ高さの城下になっているという指摘もそうだったか、と思った。
 次は全館大谷石で建てられている松が峰教会。俺も学生時代の仲間が訪ねてくれた時はここに案内した。大谷石の表面の凸凹が讃美歌などを歌う際の音響効果を高めているという解説があった。大谷石は蔵や塀に使われることが多いが、教会の内壁もなかなか温かみがあって、よいのである。
 最後は市の中心部から西に8`の上ったところにある大谷石の石切り場。地下の大空間には何度も知人を案内し、幻想的と好評だった。大正から昭和40年代にかけ、ここでは年間90トンの大谷石を切り出していた。露天掘りだけでは供給が需要に追い付かず、地中深く掘っていった。石材は飛ぶように売れたから、最盛期は「外車を見たけりゃ、大谷に行け」と言われたほど、財を成した家も多かったとのこと。ふ〜ん。
 しかし、今は数カ所でしか掘ってはいない。廃坑になった地下に水が溜まり、そこをボートで巡るツアーもある。あのボートに乗っておくんだった。そして夏でも冷たい水を冷却水に使い、夏にイチゴをハウス栽培している場所を紹介していた。トチオトメではなくナツオトメというらしい。
 人間は身近な情報ほど接近したがる傾向がある。それで今回の「ブラタモリ」は十分堪能できた。しかし、会社で転寝しているのでなく、もっといろんなとこに行っておくのだったなぁ。

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