中国語学習の組閣幹事長、Sくんとの付き合いは長い。82年5月社会部八王子支局から警視庁公安担当として、思ってもみなかった事件記者として着任した時、捜査二課担(知能犯、暴力団などが対象)として彼はすでに警視庁詰めだった。入社は1年下だが、振り出しの長野支局ではめっぽうサツに強かったと聞いた。 あの年は日航機K機長の逆噴射事件、三越事件など大型の案件がひっきりなしにあり、警視庁回りの記者10人のひと月のハイヤー代が1000万円を超えた月もあった。今も存命のKキャップは「車代など気にするな」と言ったが、A紙、Y紙に比べ安い給料で、夜回りの際にサツカンに差し入れるブツ代にもこと欠く俺たちは「地下鉄で夜回りに行くからタクシー代の半分を現金でくれないかな」と真顔で話したものだ。 夜回り先から夜中の12時過ぎに警視庁に上がり、弊社のボックス内で卓を囲むこともよくあった。サブキャップのHさんが、これまでやった博打の中では一番スリリングなトランプを使った「人魚姫」というゲームを持ち込み、あまりに掛け金が大きくなるため、2カ月で禁止令が出たこともなつかしい思い出だ。 Sくんとはこの時から「卓」「人魚姫」の仲間だったが、警視庁を卒業してまだ30代前半でぼうこうがんに罹り、取材記者の道を諦め、文化事業部に転じた。皇室や書道界に強く、今も書道団体でフルタイムで働いている。そのSくんがきのう古稀を迎えた。中国の詩人、杜甫の詩の一節「酒代の借金はいたるところにあるが、人生七十年を迎えるのは古来、稀である」から取った「古稀」。 今はみんな長生きするようになったから、そう珍しいことではないが、Sくんは十年ほど前、胃がんにかかりほぼ全摘している。卓を囲むときにはトロロ蕎麦を頼み、それを1時間半もかけてやっと食う。「ジャン友のおかげで生きていられる」というのが口癖だ。それで、きのうは「大病を乗り越え古稀。おめでとう」とメールしたら、直ちに「ありがとうございます」の返信があった。 きょうは古稀を寿ぎ、記念の中国語勉強会が、同じ山形県人の広告のエースてっちゃんの音頭取りで行われる。ひところは向かうところ敵なしの強さを誇ったSくんだが、ことしに入って絶不調。古稀になればすこしは風向きが変わるのではないか。「古稀過ぎりゃ 怒られもせぬ 朝帰り」という川柳もあるが、最近はさすがに朝まで勉強ということはなくなったなぁ。 × × × × 拙宅の手洗いの一輪挿しには濃いピンクのダリアです。 |
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