バイトに行かずに西国に逼塞していると、ネタに困る。そんな話をこの「つぶやき」の熱心な読者にお便りしたら、「ヒマなんだから、土日も書いては。ここらで半生を振り返るというのはいかが」と半生シリーズとしてナンバーを振って、幼少期、小学生、中学生、高校、大学、駆け出し福島篇、社会部篇、経済部篇、秋田篇、メディア篇、栃木篇を時系列にした全100話の感動巨編を提案された。 で、「妾の半生記」という言葉が浮かんだが、半生の記を書くのはまだ早いというのが率直なところ。それにこのコロナパンデミックの時に、そういう気分にはなかなかなれないのだ。むかし、セゾングループ代表で詩や小説も書く堤清二さんに「すいすい書けるのは事業がうまくいっている時ですか、それとも……?」と尋ねたことがあって、予想通り、商売が順調な時の方が文章がスラスラ書けるとの答えだった。 仕事が全く来ない在宅勤務で、本だってずいぶん読めるはずなのだが、バイトのあった1、2月の方が読めていたのだ。まぁ、翌日のことを考えなくてよかったから、大沢在昌の「新宿鮫Ⅺ 暗約領域」の残り400ページを朝まで一気読みしてしまった晩もあるにはあったが。メリハリのある生活をしている方が、やるべきことはきちんとこなせるのだ。 グータラな父親の代わりに今月から長女が新しい勤め先に通い始めた。感心なことに毎朝、自分でお弁当を作って持っていく。前の晩にお米を炊飯器にかけ、朝7時に炊き上がるようにセットし、おかずは冷凍食品が自然解凍されるようになっているだけというが、勤めに行けなかったこの2年間のことを考えると夢のようだ。親がグーラタすれば子どもはちゃんと動く。人生ゼロサムと思ってきたが、家族もゼロサムなのかも。 このコロナで在宅勤務をやがて来る「毎日が日曜日」の予行演習と名付けているのだが、予行演習だから、そうキチキチ動くこともないのだ、とようやく思えるようになってきた。 |
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