隠居志願のつぶやき2017

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...... 2020年11月10日 の日記 ......
■ 追悼・直子さん   [ NO. 2020111001-1 ]
 国立の古い知り合いに✖4の直子さんがいた。✖4になるからには○4(結婚4回)が必要で、それだけ魅力的な女性だった。俺が彼女と知り合ったのは伝説のスナック「絵馬屋」だったから、あれは長女が生まれて間もない1981年ころか。趣味の写真でインドまで遠征して写真集を作るくらい活動的な女性だった。
 ウチの娘たちがまだ小学校のころ、大学通りのイチョウ並木で記念写真を撮ってもらったこともあった。そのアルバムを昨夜見返したが、30年以上たっても、シャープな写真に変わりはなかった。麻雀の腕もなかなかで、かつて担当していた電気事業連合会のおじさんたちとも定期戦を組んでいた。おじさんたちからも「直子さん、直子さん」と愛されていたなぁ。
 今、拙宅には麻雀のかたに取り立てた彼女のアンモナイトの大きな白黒写真とカラーの花の写真が飾ってある。びよういん「メッセ」の前の経営者、邦男ちゃんが八ヶ岳に移住した時も、彼女の運転する車で八ヶ岳を訪れたこともあったなぁ。
 俺が秋田に出稼ぎに行った時も「馬券が買えない」と嘆いたら、「書簡集主人にお願いして購入してもらったら」という示唆をいただいた。俺が✖を付けた直後に「土日をどう過ごしたらいいか分からない」と言ったら「競馬があるじゃない」と勧めてくれたのも彼女だった。
 21世紀になってからは、ちょっとわけがあって連絡が途絶えてしまったが、介護施設に勤めているという直ちゃんの行く末は気になっていた。その彼女ががんにかかったということを知ったのは4年ほど前のこと。タイでフェイスブックを見ていたナンコ―さんが、帰国した時に教えてくれた。その後がんが消えたという話に安心したが、おととい「奏」のライブに行ったとき、お手伝いの女優、晶ちゃんから2週間ほど前、直ちゃんが亡くなったという話を聞き、大きなショックを受けた。
 この8月、直ちゃんはフェイスブックに「これから入院します。サヨナラ」と記していたらしい。延命治療はしないと決めていた彼女。好きなお酒も飲んでいた彼女。飲み屋の常連多数がお葬式に参列したという。生きているものは必ず死ぬ。とはいえ、自分より年若の人の死はこたえる。もう少しいろいろ話しておくべきだったという悔いが大きい。安らかにお休みください、直ちゃん。
   ×     ×     ×     ×
 今週の拙宅の花は「フォセット」という淡いオレンジ色の大輪のバラと「ピクシー」というピンクのワックスフラワー、それに白いアスターです。Content-Disposition: form-data; name="image"


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