きょう15日から年賀状の投函受付が始まった。例年なら、まだこの時期、牛のデザイン入りで印刷された年賀状に手を付けることはないのだが、素浪人の身とあって昨日は「あ行」の方からお習字の練習を始めた。筆ペンを使った宛名書き。15人の住所を書くのに30分かかった。この分なら10時間あればなんとかなると思ったのである。 ことし用意した賀状は250枚。十数年前ワープロで打ちだし、かなりボロボロになったA4用紙15枚の住所録を基に、ひと月ほど前、賀状を出す方のリストアップをしたところ、253人とほぼ狙い通りになった。そして、きのうまでに届いた喪中の葉書は13通。ここ数年よりやや少なめであった。 しかし、大学同期で学生寮で知り合ったKくんの奥方からの夫の死を知らせる葉書にはうなってしまった。国家公務員試験に二ケタ台で合格し、大蔵・通産などの人気官庁を蹴って、マイナー官庁の労働省に歓呼の声で迎えられたKくん。大臣秘書官も務め、将来を嘱望されていた。享年69歳。若すぎるではないか。 経済部に来て霞が関界隈を駆けずり回るようになって、Kくんとは毎年のように新年パーティーの席などで顔を合わせていた。コロナ禍で増えたテレワークに30年も前から着目し、課長時代に「もっと広い世界で活動したい」と労働省を辞め、生産性本部に移ったKくん。最近では渋谷に工房を開いていた。ことしの賀状には「昨年は思いもかけぬ病いで入院した」とあった。闘病を続けていたのか。命日は俺の母親の誕生日の6月26日とあった。さぞかし、心残りだったろうな。 「亡くなった 方に線引く 住所録」 経験則からいって27日までに投函すれば、元日には届く年賀状だが、何が起きるか分からない2020年。宛名書きは早めに済ませてしまおうと思うコロナの年の瀬である。
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