俺の手元に「ネガ通信抄 冷奴編」とタイトルが書かれた3冊の分厚いファイルがある。今から40年以上前、駆け出しの福島支局時代、通い詰めていたジャス喫茶「涅雅」に置かれていた落書帳に、俺が原稿を書く以上にリキを入れて記していたよしなしごとを、久美子ママが福島を去る時に全部コピーして3分冊にまとめプレゼントしてくれたものだ。 その時のペンネームが「冷奴」。この「隠居志願のつぶやき」の前身「冷奴の部屋」の冷奴はその時から使っていて、永井豪の漫画「ハレンチ学園」に出てくる「うひょひょ」と奇声を発する冷奴先生にちなんだ名前の由来も、この落書帳のどこかにはあるはずだ。 この「涅雅」は地元、福島中央テレビの記者だったI氏が1976年1月にオープンし、当時の夫人久美子さんが店に立っていた。とてつもなく豪華なスピーカーがしつらえてあり、ジャスを流していた。I氏のことは「サボ店主」として登場する。 ネガの落書帳に俺が最初につぶやいたのはその年の1月22日で「福島のジャズ喫茶私見」という内容。大学ノートの1ページに「パスタン」「サントリー館」「アドナス」などを紹介し、「涅雅」については「始まったばかりでよく分からず。ママが灰皿を出し忘れたりしろうとっぽいところがよい。なお夜いるメガネをかけたマスターはママの夫らしく、なんとなく気がやすまる。コーヒーもまあまあで、アーモンドが付くのがミソ。『話の特集』が本棚にあるのが楽しい」と書いている。 落書帳がよほど気に入ったとみえて、25、26、27日にも大学ノート1ページを埋め、31日の25歳の誕生日にもなんかつまらんことを書き連ねている。79年4月23日の最後のページには「ともあれ私は福島競馬最後のレースで馬券を取り(市長選で現職が敗れることを予想していた)満足している。これからは別のトラックマンが調教を伝えることだろう。次週からは東京競馬場に拠点を移す。福島競馬場は私の、少し感傷的に言えば、青春が詰まっている。4レースに一度はシルシを的中させたと思う。なごりは尽きないがいつの日か東京開催のレースのメーン予想を立てる日を夢見て、6年間の桜木町(競馬場があった)に別れを告げる。振り返れば皆楽しい思い出」(トラックマン冷奴)とある。 涅雅ノートを毎日のように書いていた時、俺の思考は大学ノート1ページ分しか続かない、長いモノは書けないと感じたことがあった。これまで40年以上、このファイルを開いたことがなかったが、ヒマになったので、パラパラ読み返すことにしたい。 × × × × 今週の拙宅の花は「フェスティボ」というオレンジ色の大輪のバラと「ヤギピンク」というピンクのバラ、それに「サラ」という黄色のスプレーバラです。
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