きのうはひと月ぶりに都心に出た。大学バドミントン部OB会シニア会という集まりが竹橋の如水会館で開かれたからである。コロナでこのシニア会はずっと中断していたが、部草創の頃の大OB3人が米寿を迎えたのを機に元OB会長のW氏が音頭を取って、三夫妻を招き祝う会として30人が集まった。 俺はバド部OB会では長らく新入部員歓迎の会で司会を務めてきたから、30人の顔と名前はだいたい一致している。俺の代では会計だったWくん、学連幹事のYくんが出席。年級幹事の俺が代表して挨拶することになった。 で「社会に50年。古稀も過ぎた学年ですが、このシニア会では最若手」と切り出し「我々が大学3年の首脳部だった時、創部20周年のお祝いの会を行い、記念にバドミントンのシャトルをモチーフにしたネクタイピンを作りました。ここにこうして持って参りました」とみんなにご披露した。 そして、かつて取材した竹下登大蔵大臣から教わった「50、60洟たれ小僧 70、80働き盛り 90になって迎えが来たら 100まで待てと追い返せ」の戯れ唄でしめた。 1959年に卒部した元OB会長で主賓の一人Mさんには「ゴルフで年を取ったらボギーをパーと思え。もっと上になったらダブルボギーをパーと思え」というのを教えてもらいましたと話したら、Mさんは血色のよい顔で「ぼくはもうゴルフはやめちゃったよ。今は歌を歌っている」とのことだった。 元会長のWさんは創部20周年の頃は大阪勤務でタイピンはお持ちでない様子。この日もネクタイ姿だったので「私はもうネクタイをすることはありませんので」とシャトルモチーフのこのタイピンを差し上げた。 一番OB会活動に熱心で、このタイピンにふさわしい方と考えたからだ。50年以上も手元にあったタイピンだが、一度も身につけることなく12年も先輩のWさんのところに嫁に行くことになったのである。 |
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