国立の音楽茶屋「奏」で、まだママの路子さんが元気だった1990年代の常連に植竹邦良さんという目つきの鋭いおじいちゃんがいた。いつも大型のスクラップブックを抱え、一橋大学構内の自然を写真に撮り、よくカラーコピーを見せてもらった記憶がある。児童絵画教室の先生をしながら、自身も絵を描き、グループ展に出品したというので、上野の美術館に東京タワーをモチーフにした大きな油彩を見に行ったこともあった。ちょっとおどろおどろしい作風で、正直言うとあまり好きな絵ではなかった。 年賀状のやり取りもしていたのだが、極めて個性的な字であまりよく読み取れなかった。2010年ごろには体調を崩され自宅療養に。13年に85歳で亡くなり、この十年植竹さんが言の葉に上ることはなかった。 それがひと月ほど前、「奏」のライブを手伝っている女優の晶ちゃんから、府中市美術館で植竹さんの遺作展を7月9日まで開催するというパンフレットをもらった。そのパンフには「発掘・植竹邦良 ニッポンの戦後を映す夢想空間」とあり、74年製作の「最終虚無僧」というタイトルのおどろおどろしい絵が大きく紹介されていた。 さらに、今月12日の毎日新聞夕刊アート欄、13日の朝日新聞夕刊にはこの「最終虚無僧」がカラーで大きく載っていた。あのおじいちゃん、そんなエライ画家だったんだ。死して10年。特別展とはうれしいではないか。 で、きのうチャリで40分かけ府中市浅間町の美術館に出撃した。スケッチから大きなキャンバスの油彩作品まで約40点が特別展示されていた。亡くなる十年ほど前に力作6点をここに寄贈した縁もあったようだ。大作はどれも異様とも思える世界で「過剰なまでの濃密さ」という解説がピッタリの作品。 一角には植竹さんが残した150冊の大きなスクラップブックが展示され、あの判読しがたい細かい字が書かれていた。経歴を見たら、小学校の教員だった植竹さんは製作に専念するため、40歳くらいで辞め絵画教室で教えるようになったとか。終の棲家となった府中市北山町には1954年に転居したとあった。 死後十年たって、大きく取り上げられるんだから、作品が残る芸術家は幸せだと思ったのだった。 × × × × あすは福島会ゴルフのため”明日休診”です。 |
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