読書の秋というのに今月はほとんど本の冊数を稼げなかった。椎名誠らが創業した本の雑誌社から出た480ページの大冊「本の雑誌の目黒考二・北上次郎・藤代三郎」を読むのに時間を取られたからだ。この目黒考二氏は明大を出て、会社に勤めると本が読めないと入社3日で会社を辞め、椎名らと1976年「本の雑誌」を創刊。初代社長として平日は会社に寝泊まりし、週末は競馬場通いをしていたおじさんで、ことし1月19日肺がんで急逝した。 文芸評論家としては北上次郎の筆名で多くの文庫解説をものし、ハズレ馬券評論家としては藤代三郎の名でコラムを書き続けた幸せな人だ。その76年の歩みを本の雑誌編集部が総力を挙げて特集したのがこの本。目黒が「本の雑誌」に書き続けたその年の本のベストテンや、北上が激賞した北方謙三や逢坂剛らのお別れの言葉がギッチリ詰まっていて、カロリーが高く簡単には読み進められなかった。 目黒の年譜も載っており、90年の天皇賞で35倍の枠連を的中させ社員に寿司をおごるとか、06年の中山で三連単1655万馬券を惜しくも外し呆然とするとか、19年あまりに当たらないのでWIN5馬券の購入を止めるなど生物学徒には見逃せない記述もある。 俺は81年に出た「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」の頃から目黒の著作に親しみ、椎名誠から雑誌の穴埋めに書けと勧められた「笹塚日記」なども愛読してきた。「なんだかなぁ」とか「ふ〜ん」という目黒独特の言い回しも好もしかった。目黒が激賞した遠田潤子の作品も読んでみた。もうこういうハチャメチャな人は出ないのではないか。 父親のことを書いた「昭和残影 父のこと」、2人の息子に宛てた「息子たちよ」などもなかなかの佳作なのだ。とにかく惜しい人を失った。追悼、目黒考二さん。 |
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