秋田の親方をしていた20年前の7〜9月、夕刊社会面の下の方にあるコラム「憂楽帳」執筆の番が回ってきた。デスク年次の人間が交代で書く。俺は土曜日の当番。650字のコラムを3カ月で13回。この日がいつか来ると思ってそれなりのネタが20本くらい”引出し”の中にあった。 しかし、せっかく秋田にいるのだから、秋田ならではの内容も3回に1回は書こうと思った。20本のネタから夏にふさわしいものとなると13、4本になった。コラムにもタイミングは欠かせないのである。 それで書いたのが「秋田新幹線こまち」「都市対抗野球町の代表」「円形脱毛症」「ひもタイ」「夏祭り」「甲子園」「美容院」「ビール」「平岩外四氏の人はようなり」「風力発電」「財界鞍馬天狗」「夏休みの宿題」「デモの理論」の13本である。 7月のスタート当初、おおむねの順番を考えたが、突発で書いたのが、「円形脱毛症」である。間接税を担当する大蔵省の税制2課長だった小川是氏に「やると大見得を切ってできなかったんだから、坊主になれ!」と暴言を吐いたら「もう、なっちゃった」という答えが返ってきたという話である。 小川氏が大蔵事務次官を退任するニュースが飛び込んできて、白髪の顔写真にダンディーで知られた同氏のハゲになるほど仕事に思いを込めた昔を思い出したという展開にした。 このコラムを読んだ令夫人から秋田まで電話をいただき「あの時は円形脱毛症がなかなか治らず心配しました」との話も聞いたのだった。 小川さんは退官後、日本たばこの会長や横浜銀行の頭取、会長を務めた。俺が仕事に大きく躓いた時にはわざわざ時間を取って下さり、昼飯をご馳走してくれて励まされたこともある。 この小川氏の顔写真を先週再び新聞紙上で見た。「食道がんで77歳で死去 消費税導入に尽力」の記事である。偲ぶ会を11月2日に浜銀主催で開くとか。これは何を置いても列席せねばなるまい。 |
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