「よー、元気?近々メシでも食おう」と言って肩でもポンと叩いて忙しげに立ち去る輩がいる。”近メシ”という奴だが、メシが実現したためしがない。ほんとに会食したいなら「来週の○曜日の昼、空いている?」というのが筋だろう。 西国分寺駅前の「エ・プロント」の前で年に3回はばったり遭って立ち話するのが、大学の1年先輩で、大手広告代理店の社長を務め、今はホールディングカンパニー社長のTさんだ。駅近くの豪華マンション住まい。同時期に同窓会の役員をやっていて、会報編集委員会で一緒だったこともあり、前にいた月刊の政策情報誌のトップインタビューに穴が開きかけたとき、急きょ登場してもらい助かったこともある。 今年の5月か、餃子の都暮らしもあとわずかとなったころ、バッタリお目にかかり「6月末には西国に戻ってきます」と言ったら「その時は歓迎会をやりましょう」とのことだった。上京して4カ月。先週アルバイト先の俺のケイタイに「Tですが、4日の夜は空いていらっしゃいますか?」と電話がかかってきた。5月に連絡先を書いたハガキをTさんのマンションの郵便受けに入れた記憶がある。 大社長は付き合いが広く、忙しいから歓迎会なんて社交辞令かと思っていたのだが、「遅くなって申し訳ない」と言うのである。その後、秘書の方とメールを何度かやり取りして、会場はTさんの出身の静岡の料理を出す銀座の高そうな店と相成った。 指定の6時半ぴったりに店に行くと、Tさんはもう席についておられ、「これは食べてもらわないと」としらす干しの変わった料理、ジャガイモのフライやら静岡おでんなどがどんどん出てきた。 社長には珍しくコピーライター上がりのTさんだから、最近読んだ本の話やら、このほど読売1面コラムを病気で降りた竹内政明氏の話、希望の党の行く末など、話題は多岐にわたり、3時間半があっという間に過ぎた。こんなに楽しく充実した宴は久しくなかった。帰りは社長車に同乗させてもらって西国まで。車の中でも50分間ずっとおしゃべりしていたなぁ。 お土産に若い社員が創った焼酎までいただいた。で、お返しに餃子の都を出るとき送別会をやってくれた人に配った「ほんの気持ち」を、前夜コンビニで刷り増しして差し上げた。40年余の記者家業でいろいろな記事を書いてきたが、後に残るのは書評などの文化に関するものだけという気が、最近とみにしているのだ。 |
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