おとといの体育の日は、夕方急に思い立って小金井の実家に行き、中学・高校・大学・駆け出しの福島支局時代のアルバム計12冊を西国分寺に運んだ。前日のお袋の遺品処分でお袋がいた居間(8畳間)がきれいになり、ガラス戸付き本棚が開くようになったので、本棚の下部にずっと置いてあった古いアルバムを手元に置いておこうと思ったのである。 実家に行くとかつての俺の書斎の作り付けの棚の上にあったお袋の遺影と位牌が居間の飾り棚の上に移されていた。今は書斎を居住空間にしている弟が、いつもお袋に睨まれているような気がして、きれいになった居間に早速移したのだろう。 書斎は乱雑で散らかしっ放しである。書斎の本棚にあった吉行淳之介や開高健の初版本もこれまた足の踏み場のないリビングの床の上に散乱したままである。一応、俺が大家さんなのだが、ここまで汚されると、何も言う気にならない。やれやれ。 西国に持ち帰った昔のアルバムをめくっていたら、あんなこともあった、こんなこともという記憶がよみがえってきた。俺の出た中学は今年創立70周年を迎えるとかで、先日、学年を代表して短文を寄稿するよう同期会幹事に頼まれたばかり。中学時代なんて50年以上も前だから、何があったかほとんど忘れてしまっていたが、このアルバムを手掛かりにちょっと書いてみるか。 やっぱり、授業で軍隊式の整列をさせた体育の玉さん、木製の鞭が飛んできた英語の堀さんのことを書くことになるのかな。なにしろ俺らの学年(3クラス)は、学年主任・玉木、学年担任・堀口の最強コンビの下にあったのだから。 福島時代のアルバムからはずっと探していた出家当時の写真が見つかった。お巡りさんの不祥事の特ダネを、「酒の上のことだから」とサツカンと手を握った支局長にボツにされ、カッとなって坊主になった記者2年目の冬。なかなかリリシイ坊主頭なのだったが、あの冬は頭が寒くてまいったなぁ。 |
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