秋田の親方をしていた20年前の7月19日、「円形脱毛症」のタイトルで以下の夕刊コラムを書いた。 若気の至りで、取材相手に暴言を吐くことしばしばだった。 振り返って、今でもまずかったと反省するのは「『やる』と大見えを切ったじゃないですか。駄目にしたのなら、坊主になれ!」の一言、と、その相手は「もう、なっちゃった」。一瞬、気まずい雰囲気が漂い、聞けば、ストレスで円形脱毛症になったのだという。 あれは1984年末の税制改正。85年度予算の歳入不足を埋め合わせるため、大蔵省は3000億円の増税を検討していた。当時は消費税がまだない時代。そこで、消費への課税を担当する同省主税2課が、3000億円の一部とするために立案したのが、需要が急増していたOA機器などに対する物品税の導入。私はその構想を大きく紙面に取り上げたことがあった。 しかし、OA機器への課税は業界の猛反対であえなくつぶれ、時の税制2課長への前記のような暴言となった。今でも、ダンディーで知られた課長のつらそうな顔が目に浮かぶ。官僚の在り方が厳しく問われる今、自分の仕事に”ハゲ”になるほどの思いを込めた人がいたことを記しておきたい。その人の写真を今週紙面で見て、「ずいぶん白髪が……」と感慨深いものを覚えた。15日に大蔵事務次官を退任した小川是氏である。あの時は申し訳ありませんでした。(署名) すると、その翌日だったか、由美子夫人から秋田まで長距離電話をいただき、「あの時はほんとに脱毛症が治らず、心配しました」と言われた。俺が課長時代の小川邸を夜回りした時は、ちょっと離れた場所に停める夜回り用のハイヤーを、由美子夫人は探し出し運転手さんにお茶出し(果物、お菓子付き)をして下さるのだった。そんなことをする奥方は後にも先にもなかった。旦那様を偉くさせたいと思ったのだった。 事務次官退官後、日本たばこ産業の会長や横浜銀行の頭取を務めた小川氏は、この8月がんで亡くなり、先週の木曜日、横浜のホテルで盛大な「お別れの会」が開かれた。夫人に一言ご挨拶しようと思って横浜まで出張った。プライベート写真も数多く飾られたいい会だった。 由美子夫人に「ハゲ呼ばわりして」と頭を下げ、是氏と顔がそっくりのため、東京ガスのパーティーで声を掛けたことのある兄、明良氏(元東ガス役員)と思い出話をした。返礼の品は浜銀時代から週末、数百回も登った金時山に行くときによく携行したという「鳩サブレ―」。これが思いのほかおいしかった話は、あしたに。 |
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