きのうはお休みだったが、今月15日で辞めるサンケイ校閲部出身の先任将校、Sさん(63)とその後釜として採用されたF女史(年齢不詳なれど40代)の歓送迎会が午後6時から都心で予定されていた。こういう集まりは欠かさない方である。しかし、宴会のためだけに電車賃を使うというのは、年金生活者にはもったいない。 そこで思い浮かべたのが、宴会場に近いビルにある日本新聞協会の幹部に、この秋就任したNさんである。彼とは17、8年前新聞協会のメディア開発委員会で出会い、デジタル化についての報告書をまとめる際にずいぶん世話になった。その後もNさんは竹橋の会社を訪ねてくれたりした。当時、俺はメディアセクションの部長をしており、メディア開発委小委員会の座長で、NHKが通信分野へどんどん進出してくるのに対し新聞界の反対意向を文書にまとめる役目があった。強硬に反対するサンケイのアンちゃんがまとまりかけた案文にイチャモンを付け、新聞協会の若い担当者がノイローゼになるほどだった。 あの時は強硬派をまぁまぁとなだめ、新聞界として主張すべきことはちゃんと書き込んだ報告書を作ったのだ。今は中央公論社の社長をしているY紙のOくんにはずいぶん助けられた。そんな時代の同志が協会の中枢に返り咲いた。「空いてない?」と電話すると「すいません。夕方は会議が立て込んでいて……」。きょうの今日では大幹部が簡単には時間が取れないのは理の当然である。 で、しばらく会っていない次女に「夕方お茶でも飲もうか。身元保証人にアルバイト半年の報告もあるし」とメールすると「ごめん。きょうはとっても忙しい。来週時間を取ります」の返事。今のアルバイトを決めた時、次女に保証人になってもらったことは七夕の日につぶやいた。 ま、現役の方は忙しいことがよく分かった。それでブログを書いてから「円生百席」のCDの中から人情噺「文七元結(もっとい)」をかけた。これがとんでもない熱演で、娘を吉原の店に預けて借金返済のために手にした50両の大金を、身投げしようとした通りすがりの奉公人にくれてやった大工の親方夫婦のやり取りを聞いているうち、知らず涙が浮かんできた。さすが三遊亭円生である。 歓送迎会では、辞めた後Sさんがジャズギタリストを目指すとか、組織改革で9月に俺らの上司になった部長(54)が学生時代からバンドをやっていて、今もステージに立っているとか、新メンバーのF女史が寿司はさび抜きでないと食べられないなど、極秘情報をかなりゲットできた。7月に採用された時の女性部長(53)とのオモロイやり取りは金曜日に。 × × × × × 明日は竹橋の会社の広告のエース、元ローマ特派員の書き手、組閣幹事長との中国語の勉強会があるので「本日休診」です。 |
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