東京の飲食店では初来店の客に「お年賀」を差し上げるなんて習慣はないが、餃子の都ではかなり行き渡っている。初芝刈りのため宇都宮に出かけ、前夜4年間でなじみになった店を何軒か回った。 まず、カキノタネのお年賀を届けたのが4年間毎夕寄っていた珈琲店「B」である。ここの世話焼きのママの号令一下、焼き肉店での送別会を数人の美女同席で挙行してもらったのだ。チェーン店に押されている個人経営の喫茶店だが年末地元紙の1面コラムで「B」は大きく取り上げられたとマスターは喜んでいた。記者の名刺を見たら麻雀仲間だったSくんが書いたらしい。書く方は連日の仕事だが、書かれる方は一生に一度。だからどんな時でもリキを入れて書かねばならないのだ。 ホテルにバッグを置いてからまず向かったのが、お花屋さん「H」である。記念にとってあるスタンプカードによるとここには116回通った。飲み会の会場の「K」にお花を持って行こうと思ったのだ。春らしい5色のスイートピーの花束にした。と、店長のなおこさんが「これ」と年賀のタオル(ピンクとブルー)をくれた。 「K」での宴会は4年間いろいろな名店で酒を飲んできた「中トロの会」のメンバー2人と新聞社会長の鬼瓦、それに俺の後任のAくんである。日本酒におから鍋、マーボ豆腐、味噌べら、チーズピザ……を平らげた。お勘定の段となり鬼瓦がAくんに「お前が黄金分割をしろ。○○(俺のこと)は年金生活者だからタダにせい」。鬼瓦が大1本を出し「中トロの会」メンバーは4年間と同額の3000両だった。「K」のお年賀は毎年恒例のボールペンである。引けは8時半。寝るにはまだ早い。 みんなを見送ってから、秘密スポットのカフェ「F」へ。ママもマネジャーのCちゃんも早めに引き上げた様子だったが、顔見知りのアルバイトくんが「久しぶりです」。で、花屋さんでもらったブルーのタオルを上げた。コーヒーを飲んでママに渡してと名刺を出すと、大きなクッキーを1枚くれた。これを夜食にしよう。 帰り道よく寄っていた蕎麦屋が開いているのを見つけ、おかあさんの病気が気になりのれんをくぐると、「おや!」とマスター。「おかあさんは?」と尋ねると「いるよ」。抗がん剤の副作用で髪の毛が抜け「かつらが離せないんだけど、元気よ」の返事が返ってきた。ならばよし。黒胡椒と七味唐辛子の小さな包みを頂戴したので「K」のボールペンを差し出した。 七味をいただいてもなぁと再び喫茶店「B」に顔を出すと、俺の冷蔵庫を引き取ってくれた青年がカウンターの中に入っていて「おかげさまで冷えたビールが飲めてます」。で、ピンクのタオルと七味、胡椒を引き取ってもらった。年賀のたらい回しでみんなに気分よくなってもらったつもりだが。 |
|