隠居志願のつぶやき2017

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...... 2018年05月15日 の日記 ......
■ 同期の急逝   [ NO. 2018051502-1 ]
 1曲歌って2万円稼いだことがある。あれは福島支局から東京社会部に上がった79年秋の全舷。新聞社では休刊日に泊まりがけの部内旅行に行くことを全絃と称していた。約80人が参加。その夜の座興で支局から上がってきたばかりの新人8人に歌を歌わせ、得点を競う歌合戦があった。
 1‐2着を馬単で当てる”馬券”発売もあった。泊りが一緒だった先輩の強一さんが「誰から買ったらいいかわからん」と言うので「私を頭で買って」と言ってのけた。曲は「花街の母」。情感たっぷりに歌い上げると審査員の芸者さんたちが10点!10点!の札を上げた。2着は盛岡支局から来た同期の青史くん。「ロクデナシ」を歌った。彼が6枠。俺7枠。7→6の馬券は強一さんの総取りとなり、8万円余りを手にした彼は「ご苦労!」と、俺に1万円、青史くんに5000円くれた。全絃事務局からも同額をいただいた。
 あれから幾星霜。青史くんは科学環境部長、編集局次長、社長室長に栄進し、取締役西部本社代表にもなり、竹橋の会社の最後のポストは監査役である。西部代表の時、60の手習いでゴルフを覚えた。ゴルフをすることを東京の仲間はあまり知らなかったので、俺が幹事長をしているコンペに加わってもらった。
 急速に腕を上げた彼はそのコンペで3回も優勝し、ことしは彼と4回も一緒にラウンド。元気そのものだったのに……。土曜日いつもの仲間と卓を囲んでいると、前人事部長Nくんのケイタイがなった。長電話だ。「青史さんが亡くなった!」。えっ!この前ゴルフをしたばかりなのに。悦ちゃんからもメールが来た。「彼、15日にゴルフをすることになっているようなんだけど、誰がメンバーか分かるかい?」
 Nくん、悦ちゃんに連絡してきたのはやはり同期で、辞めてからも一緒に酒を飲んでいたKくん。同期の出世頭でスポーツ新聞の社長を務めたMくんからも「通夜で元社長に弔辞を読んでもらうことにした」と電話が来た。麻雀どころではなくなり、少し負けた。
 夜中に帰宅してアドレスが分かっている同期約20人に「近々、新聞に載るが青史くんが敗血症で急逝した」とメールした。日曜日には数人から「知らせてくれてありがとう」の返信があった。俺は同期会の永久幹事なのだ。Kくんから聞いた業者に「入社73同期会」の名前で供花を出すよう依頼した。そして、20人に通夜と告別式の日程を知らせ「俺の顔を見たら花代1000円ちょうだい」とメールした。
 通夜は今夕。Kくんの奔走で葬儀の準備は整いつつあるが、まだ、青史くんの死が信じられない。昨日は彼が行けなくなったゴルフ場からの連絡で、喪主を務める奥さんと電話で5分ほど話すことになった。まだ、彼の死を受け止められない様子だった。せがれの結婚式翌日の今月4日あたりから体調を崩し、急激に病状が悪化したとのことだった。生きとし生けるものは必ず死ぬと分かってはいるものの……。みんな体には気をつけようね。田中青史、ナイスガイだった。合掌。

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