同期で急逝した青史くんの葬儀は無宗教。祭壇にはいい感じで花が飾られ、西部本社代表時代にヘリに乗った時のりりしい写真が正面に飾られていた。戒名も付けないという。写真コーナーでは入社当時の若々しい写真、家族サービスをしている写真、ゴルフコンペで優勝した時の写真、つい4日に行われた次男の結婚式での写真など50枚ほどが掲示されていた。 昨夜そんな話を同居中の長女にしたら、「私、お父さんの遺影が心配なんだよね」と言う。そういえば2年半前、93歳で亡くなったお袋の時も、お袋が「これを使って」と仏壇のところに巾着袋に入れていたお気に入りの写真が見つからず、90歳の祝いの食事会で撮った写真を大きく引き伸ばして使ったのだった。 青史くんの通夜の前の晩、最近の6,7冊のアルバムをくって、彼と一緒にラウンドした時の写真、コンペで彼が優勝した時の写真、MSN48と名付けた同期コンペでの写真を見て、まだ若かったのに……と彼をしのんだ。その時、俺の時はこれがいいかなと、遺影になりそうに思った1枚があった。 オレンジ色のスポーツシャツにグリーンのジャケットを着て少し笑っている写真である。で、長女に「目星はついている。善は急げだ」と言って、この最近のアルバムを片端から見ていったが、これがない!ないとなると、苛立つ。20分後、一番最近のアルバムの最初のページにあるのを発見した。 どこかの飲食店のような背景である。長女は「これ、お父さんらしくていいね。どこで撮ったの?」と言うから、「お任せあれ」。昨年10月某日と撮影日時が付いていたので、昨年の手帳を取り出し、その日は大学バドミントン部同期とのゴルフで浦和に行ったことが分かった。ゴルフの後の宴会で副将だったZくんが撮ってくれたことを思い出した。 大人って、自分が被写体になることは少ない。それで俺は幹事長をしている5組のコンペ、バド部のコンペ、同期のコンペの際は、デジカメを持参し、遺影用の写真を撮ってあげることにしている。しかし、撮り役になるので自分単独の写真は少ないのだ。 確か、この時は、もう一人の副将、Iくんのアップのいい写真を俺が撮り、手紙で送ったら「カミサンがこれ、遺影にピッタリとしまわれてしまった」という話を聞いたことがあった。 やれやれ、これで一安心だが、この写真を使うのはもっとずっと先にしたいもんだ。 |
|