先日、国立の増田書店に入って新書の棚をず〜っと見ていたら「アメリカ黒人の歴史」(上杉忍著、初版2013年)という中公新書のタイトルにぶち当たった。何を隠そう、俺の大学時代のゼミのセンセは本田創造という黒人問題の権威で、岩波新書で「アメリカ黒人の歴史」というのを1964年に出しておられる。この新書を読んで本田さん(2001年1月に死去)のゼミを選んだ俺としては、このタイトルは気に入らない。 で、あとがきを立ち読みすると、上杉氏(1945年生まれ)が本田先生の下でアメリカ史の勉強を始めたのは、まだベトナム戦争がまだ戦われていた大学院生の頃で、先生には同名の岩波新書があるが、これはその後の時代状況の変化とアメリカ史研究の蓄積に基づき、先生の本を書き直すことを目指した。今は亡き先生からの宿題に応えたものだ、ってなことが書かれていた。 本田ゼミに入ったといっても、ゼミの後の遊びグループとの麻雀が楽しみだった俺。「黒人と教育」をテーマにした卒論を「良」と評価され、卒業式当日にそれをバド部の仲間に披露したら「卒論ってのは『優』が付くもんだ」と言われ、先生の研究室に抗議するつもりで赴いたら「君はオヤジの葬式や僕の引っ越しをずいぶん手伝ってくれた」と言われ、ハハーと引きさがった程、学業とは縁がなかった。 だから、上杉氏の名前も知らなければ、先生の主著と同じタイトルの新書が刊行されたことも発刊から5年もたつというのに、知らなかった。それで上杉氏の新書を求め、遅まきながら読み始めた。50年近く前に先生のゼミで聞いた女性奴隷解放運動家、ハリエット・タブマンとか「黒人のたましい」を書いたデュボイスなどの名も出てくる。黒人と教育を卒論のテーマにしながら、何にも知らなかったなぁと大いに反省させられた。 本田先生絡みで何にも知らなかったというのには、もう一つある。俺が竹橋の新聞社を受けた時、先生は高校時代からの大親友で、当時の新人教育担当編集局次長のYさん(のちの社長)にわざわざ竹橋まで出かけて、俺の後押しをしてくれたのだった。これを知ったのは入社して3年後のゼミのOB会の席。道理でYさんが新人研修の時に俺の方をチラチラ見ていた訳だ。 実力で新聞社に入ったとばかり思っていたが、その影に恩師の極力な後押しがあったのだった。今も昔も周りが見えていなかったんだねぇ。 |
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