隠居志願のつぶやき2017

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...... 2018年06月19日 の日記 ......
■ 伝説のつくられ方   [ NO. 2018061901-1 ]
 毎日新聞社の政治部長、主筆などを歴任し、TBS「サンデーモーニング」のコメンテイターとしてお茶の間にも親しまれた岸井成格さん(73)が5月15日にがんで亡くなり、昨日如水会館でお別れの会が開かれた。俺はバイトがあり、参加できなかったが出席者によると森喜朗、福田康夫の2人の元首相ら約千人が集まる盛大な会だったようだ。
 毎日で俺は経済部が本籍だったから、67年入社で熊本支局から2年で東京本社に上がり、政治部一筋だった岸井さんとはそう接点はないのだが、一度だけ1週間行動を共にしたことがある。あれは90年の春、小笠原の父島に空港を建設すべきか否かのシンポジウムをフェリーをしたてて400人規模で父島で実施したことがあった。
 岸井さんはそのシンポのコーディネーター。俺はそのツアーで毎日2回出していた船内新聞の編集長をおおせつかった。シンポに加え、ホエールウオッチングのおまけ付きだったから、クジラを見る場合は小舟の舳先を12時とし、3時の方向とか10時の方向という指示が出るとか、ツアー参加者の最年長は誰々さん、最年少は〇〇ちゃんなど、のんきな原稿を書いていた。
 岸井ちゃんは慶大卒で相当な酔っ払い。あれは30時間かかって小笠原に向かう夜中の船内で、前方から目の座った岸井ちゃん歩いてきて「どうも俺は参加者の慶応のセンセをぶん殴ってしまったみたいだ」とつぶやいた。で、「船なんだから、どこにも逃げられないよ」と言った記憶がある。その慶応のセンセとはうまく手打ちができたみたいで、小笠原ではもう相当白髪だった岸井ちゃんと一緒に写真を撮った。
 「サンデーモーニング」の岸井ちゃん追悼番組では女性キャスターが涙を隠さず、スタッフからも愛されていたんだと思った。そこでは退陣会見をする佐藤栄作首相が「新聞は嫌いだ。直接国民に話したい」と発言。岸井ちゃんが「それなら出よう」と記者団の先頭に立って退場。栄作首相が無人の記者席越しにテレビカメラに向かって語りかけるシーンというのをやっていた。
 俺も学生時代あのシーンは直接観たから、ああ、あそこに岸井ちゃんはいたのかと思ったのだが、あれは1972年6月のこと。67年入社の岸井さんにしては若すぎて計算があわないのではという疑問を持った。昨夜開かれた福島会の席で現役政治記者のまっちゃん(69年入社)がそのあたりを解説してくれた。
 岸井さんの追悼記事で後輩のY記者が、佐藤会見退席事件を岸井首謀と書いたため、そう思われているが「政治部に来たばかりの岸井さんにそんなことができるわけがない。”出よう出よう”と最初に言ったのは朝日の〇〇。Yくんも政治部の先輩にあの追悼記事を謝っていた」。あの岸井さんなら佐藤栄作の言葉に疑問を感じて会見の席を発つだろうという思いから、そう思われたのかも。伝説とはこのようにして作られるのだな、と感じたのである。
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 今週の拙宅の花は「サムライ」という深紅のバラと「ミントティー」という白いバラ、それに「パール」という白いアルストロメリアです。

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