大将タイプより参謀型が好みという性分で、近年の政治家の中では中国の首相を務めた周恩来(1976年没)が好きである。俺の名前に使われているアルファベットを組み替えて美女がアナグラムで考案した「はやかわしゅういち」という名前にも「周」という字を当てている。 京王線明大前の某大でやっていた文章教室の教え子に宇都宮女子高出身の周菜ちゃんという娘がいて「はるな」と読ませた。竹橋の会社の人事セクションにも、目をかけていた「周子ちゃん」というのがいて、これは「のりこ」と読ませた。 90年入社の周子ちゃんはテニス仲間の政治部のアンちゃんと一緒になり、女の子2人を育てながら、組合との交渉窓口になる女性初の労政課長も務めた。で、仲間内では”鉄の女”と呼んでいたのだが、3年ほど前にがんになり、最近は病状がおもわしくないとの話を聞いていた。 秋田支局時代にパンチャーをしていた倫子さんの突然の訃報を旦那のUくんから聞き、月曜日かつての秋田支局同人のU子記者に「悲しい話を聞いてる?」と電話したら「ええ、同期でしたから」という返事に、あれ?と思った。U子ちゃんと倫子さんは親しかったが、同期ではない。で「誰が亡くなったの?」と聞いたら「周子ちゃん」と言うのに、う〜んとなった。駄目だったか。 で、人事セクションの重鎮になっている中国語仲間Nくんに電話すると「ひと月ほど前から衰弱がひどく、週末は予定を入れないようにしていました」。先週葬儀が行われたとのこと。「君を介して、彼女に戦艦三笠の紙のキットをもらってもらったことがあったよね。”鉄の女”もがんには勝てなかったか」。 講談社の幹部の後輩からもらった戦艦三笠のキットを、祖父が海軍だったという周子ちゃんに、引き取ってもらった話は、この”つぶやき”の前身「冷奴の部屋」の2010年12月3日に書いたことがあった。出所が分からないようにブログのページをコピーして記念に周子ちゃんに上げたら、1週間ほどたって廊下ですれ違った時、「ブログのようですが、発見できませんでした」と可愛らしい丸顔で声を掛けられた。 あのころは病魔に襲われるなんて、思いもよらなかったなぁ。工作が好きと言っていた2人のお嬢さんももう大きくなっているだろう。安らかにお休みください。周子さん。合掌。 |
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