オウム真理教の一連の事件で13人の死刑囚の刑執行がきのう終了した。89年11月の坂本弁護士一家殺人事件、94年6月の松本サリン事件、95年3月の地下鉄サリン事件。この年は1月17日に阪神大震災があり、戦後の日本が大きく変わった年のように思えたものだ。高等教育を受けた者たちが、なんで麻原彰晃のようなペテン師に乗せられてしまったのか、まだよく分からない。 3月20日の地下鉄サリン事件の朝は夕刊番で、経済部のデスク席にいた。と、外が救急車の音で騒がしくなり、20bほど離れた社会部席が騒然とした。あの日の社会部デスクは、今一緒に校閲のアルバイトをしているMくんだったと記憶している。 この年はY紙が元旦紙面で、山梨県上九一色村の土壌からサリン発見を特報し、オウムが身構えたとされる。地下鉄サリン事件は警察の強制捜査が近いと見たオウムが、都心で無差別テロを起こすことで捜査当局の混乱を狙ったものと言われているが、サリンが撒かれた地下鉄丸ノ内線、日比谷線、千代田線の車両の場所は、警察庁・警視庁のビルへの出口に近いところで、俺はもっと明確な狙いがあったと思っている。 警視庁は事件3日前、サティアンへの突入訓練を密かに実施していた。竹橋の新聞社はその写真を撮影している。かつて警視庁クラブで一緒にだった社会部の事件担当デスクのTくんに「訓練なんかしてないで、上九一色村に突入すればよかったのに」と無責任なことを言ったら「そしたら警察官が何人も死んだ」という答えが返ってきた。そのTくんも今、病魔と闘っていると聞く。 総選挙にも大量出馬した宗教集団というオウムの側面に、警察当局がビビったのが、あれほどの惨事を起こさせてしまった大きな要因と思う。あんな大規模なサティアンで、猛毒のサリンを製造していたのを、公安警察が知らなかったというのが信じられない。 阪神大震災、地下鉄サリンが戦後最大の大災害、大事件と思っていたら、福島第一原発のメルトダウンまで引き起こした2011年3月の東日本大震災が、記者生活で一番大きな事件だった。40年はかかるという廃炉の進め方もまだきちんと定まっていないのに、シンゾーくんは「アンダーコントロール」とか言って、9月の自民党総裁選に向けた票固めに専念している。きのうは地元・山口県の県議を首相公邸に呼び、ノンアルビールで乾杯したのだとか。チコちゃんじゃないが「ボーッと生きてんじゃねえよ」と言いたくなるね。 |
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