隠居志願のつぶやき2017

[PREV] [NEXT]
...... 2018年10月03日 の日記 ......
■ 元学長お別れの会   [ NO. 2018100301-1 ]
 勤務先が同窓会館に近く、母校のある国立に住んでいたという理由から、十数年前、母校同窓会の末端理事(任期4年)を務めていたことがあった。月1回の理事会にのこのこ出て行ったら、理事の一人である当時の学長、石弘光さんに「何でお前がここにいるんだ?」と言われた。で、「俺も学長と同格の平理事だもん」と返したことがあった。財政学の授業は受けたことはないが、税金の取材で以前から見知っていたのだ。
 それからも国立大学の独立行政法人化問題の取材などで大変お世話になった。その石さんから「闘病記を出版したいので竹橋の会社の出版セクションにつないでくれないか」とメールを頂戴したのは、まだ、餃子の都にいた2年前の夏だった。16年6月にステージ4のすい臓がんが見つかり、いろいろ勉強していると言うのだった。この話は結局、出版不況のためうまくいかず、別の小さな出版社から昨秋上梓された。
 東京に戻った昨年9月だったか、先生から連絡があり「いろいろ手数をかけた」と同窓会館で昼飯をご馳走になった。「俺にも見栄というのがあって、抗がん剤の副作用で髪がなくなったところは人に見せたくないんだ」と帽子をかぶっておられたが、眼の光は強く、重い病を感じさせなかった。
 その石さんが8月25日に亡くなり、きのう同窓会館でお別れの会が開かれた。開始時刻の午後2時に会館に行くと、すごい人である。記帳をしてちょっとすねたように首をかしげている遺影が飾られた祭壇に白いカーネーションを捧げるまで40分かかった。石さんが政府税調会長時代の小泉純一郎首相も「よーっ!」と片手を挙げて現れ、なかなかオーラがあった。
 旧知の元財務官僚に何人も出くわした。その中に課長になる前から知っている日銀総裁殿もおり、半時間ほど歓談しておられたので、記念に名刺を1枚いただいた。「もう73歳になり、体はガタガタ」とのことだった。
 参列者900人余り。もうこんなに人が集まる大学人の葬儀はないだろうと思った。学者も小粒になり、今や東大総長も母校の学長も、名前を誰も知らない時代になった。お別れの会で2時間、ずっと金屏風の前で現学長(石ゼミ出身)と一緒に立ち続けていた令夫人に「ウチから闘病記を出せずにすいませんでした」と声をかけたら「2冊目も出るんですよ」とにこやかに微笑まれたのだった。

...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: