この前の日曜夜は国立の音楽茶屋「奏」で久々のライブ。ステージに合わせて大いに歌い、すっとした。出し物はフォークソングの草分けのボーカル&ギター、小室等、その娘のゆいさんとのデュエット、ピアノ、谷川賢作、サックスの巨匠、宮野裕司という顔ぶれである。 宮野令夫人が14年前に亡くなった「奏」のママ、路子さんのスナップ写真を持ってきていて、何でかなと思ったら、小室等は路子さんの最初の結婚の仲人で、路子さんちで棚からウイスキーの瓶を取ろうとしてストーブの上のヤカンに落っことし一緒に火傷した”火傷友達”というのだった。 小室さんは自ら御年76歳と言いながら(あとで調べたら11月で75歳)、歌声には張りがあり、お嬢さんとのデュエットはDNAの関係か、非常にいい感じのハモり方である。ピアノの谷川氏は詩人、谷川俊太郎の子息で「父に負けまいといつも意識していた」という語りに、大笑いした。客席に小説家、山口瞳の”出来の良い”せがれがいたためである。 俺はアンコールで「出発の歌」をリクエストした。秋田時代によく行っていたスナックの点数の出るカラオケで最高点を出した持ち歌の一つだからだ。さすが本家本元のおじさんと一緒に歌う「出発の歌」は気分よかった。 2ステージの終了後、書簡集主人も店を閉めて駆けつけ「長年のファンなんです。ラジオのパックインミュージックも聞いてました」と持参のCDを取り出し、サインをねだっていたのには、普段はクールな中井さんにこんな側面があるとはと、目を見張った。 小室さんは非常な紳士で穏やかな話ぶり。「路子さんは僕のことを等の名前から”ら〜ら”と呼んでたんだ」と応時を振り返った。ゆいさんも「路子さんと立川にピクニックに行ったことを思い出した」と歌の途中で涙ぐむシーンもあった。 年齢を感じさせぬ歌いっぷりに「後期高齢者の中では一番、歌がうまいと思う」と言ったら、妙な顔をされていたなぁ。 × × × × 今週の拙宅の花は、「オークランド」という大輪のオレンジ色のバラと「ノーマンサニー」という黄色のマム、それに黒い小さな実をたくさん付けているビバーナムティナスです。
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