文化の日、都心の同窓会館で大学卒業45周年記念同期会が205人のおじさんと5人のおばさんを集め、盛大に行われた。俺は17クラスの幹事で、5年前の40周年の時は出席が4人にとどまり、18クラス中ブービーメーカーだったが、多数派工作はしなかったのに、他クラスの友人に聞いたなど8人が集まり、ブービーも免れた。 俺は会場で配布する資料づくりを任され、こういうのが得意な長女にA44枚の作成を丸投げしたが、会場に着くと大学のシンボルの講堂の写真がカラーで表紙を飾っており、適宜ゴシック字体が明朝になるなど、事務局員の手が加わってなかなかの出来栄えで、ほっとした。 同窓会会報で同期会を知ったというニューカマーに「大学1年の時の集合写真がある」と言ったら、「そんなのあったかなぁ」。それで、手元のアルバムから写真を引っぺがし接写して人数分焼き増した。このお土産は喜ばれたはずだ。 NHKのディレクターをやっていた同窓会事務局長のOくんのたっての依頼で出席したTくん(卒業以来初めて会う)に「なんでOくんと知り合いなの?」と尋ねたら「娘がNHKのアナウンサーでいろいろ世話になった」と言うので、「誰々?」と聞くと「チコちゃんに叱られる」のMC、塚原愛アナだった。朝、チコちゃんを観たばかりだったので、不思議な感じがした。 日本国大使を歴任したTくんの娘で、元宝塚の男役のスターだった178aの嬢ちゃんもやってきて、そこらじゅうに愛嬌を振りまいていた。バド部同期のEがやってきて「Tは大阪の集まりにも出てきたが、あいつヘンな奴だよ」と言うので、「娘を紹介したいと言うので、対応が大変だった。筋が違うよな」。クラス副幹事のMくんも「御嬢さんは何しに来たのかなぁ」。 ゼミの仲間も全10人のうち、真面目派を中心に7人が集まった。「遊びグループは年2回ゴルフをしている」と言ったら「一度みんなで集まろうよ」。しょうがねえなぁ。古稀の2年後を目途に初のHゼミOB会を開催する方向となった。アメリカ黒人史の権威だったH先生だが、乾杯の音頭を取った新日鉄の社長、Sくんが「俺、民主主義者だからH先生は知ってますよ」と言ったのはちと嬉しかった。 |
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