隠居志願のつぶやき2017

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...... 2018年11月28日 の日記 ......
■ 遺稿集   [ NO. 2018112803-1 ]
 日曜日、赤のレターパックが届いた。中身は分厚い本である。はて?と包みを開けると定価3500円と表記された竹橋の新聞社で社会部長を務めたY氏の遺稿集だった。560頁余りもある大著だ。
 Y氏は社会部長時代の50歳の時、脳出血で倒れ、右半身不自由の身ながら懸命なリハビリで左手で書いた大著を数冊ものしたうえ、千葉で児童文学のサークルを主宰し、昨年81歳で亡くなった。
 その時はバイトと重なりお別れの会には行けなかったが、欠席を知らせるハガキに「都立高校初の国立高校甲子園出場、早実・荒木大輔の1年目の高校野球では、都内版の記事をほめていただきました」と記した記憶がある。
 中をざーっと通読すると、学生時代の童話らしき作品、社会部での企画、ロッキード事件の時の司法記者としての活躍、横浜支局長時代のエピソード、30年にわたる闘病とその児童文学の会の成果が、同期のO氏の丁寧な筆で記され、一言集には200人近い人間のコメントが集められていた。そのなかに俺の数行もあった。
 O氏と司法担当の後輩T氏の献身的な努力で、死後1年にして完成した立派な遺稿集である。400部の本の製作費は百人余りの賛同者の基金でまかなったが、心ある方には、同封の郵便振替用紙で協力をとの添え書きがあったので、昨日郵便局に出向き、一口分5000両のカンパをしてきた。
 この手の遺稿集は拙宅に数冊あるが、編集作業に人を得ないと、とてもできるものではない。Y氏の場合、Oさんという文章に優れた同期生と実務に通じたTさんと言う後輩がいたから実現した。
 本人は手にすることができない遺稿集。きのうは手元にあるこの手の本を久方ぶりにひもとき、自分が求めに応じて寄稿した文章や出来上がるまでの経緯に目を通したが、ここ数年で亡くなった同期をみるに、遺稿集を出そうという声は起きていない。文章の世界でさほど赫々たる成果を挙げなかったことと、残った人間がモノグサであるのが、その原因と思われる。

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