隠居志願のつぶやき2017

[PREV] [NEXT]
...... 2018年12月17日 の日記 ......
■ 「坊や」と再会   [ NO. 2018121701-1 ]
 「検察の夜回りに連れて行ってくださいよ」。いつも夕飯のご飯どころ「ゆず」で一緒になる憲ちゃんが、こう言ったのは1976年6月ごろだったか。憲ちゃんは2コ下の日経の記者2年目。当時の福島支局の記者たちは、8月に県知事、木村守江が現職の知事としては50年ぶりに逮捕されるという県政汚職事件捜査で、検察幹部に連日の夜回りをかけていた。 
 経済専門の日経の記者は社会面ネタは共同通信にお任せで、夜回りなどする必要はなかったのだが、周りの記者たちが必死の形相で夜回りしているのに、これはまずいと思ったのだろう。で、次席検事の官舎に連れて行ったおぼろげな記憶がある。
 それで「坊や」のニックネームがあった憲ちゃんとより親しくなった。結婚式にも出て織り込み短歌もどきを披露した思い出もある。あれから幾星霜、憲ちゃんは本社の証券部で活躍、労務の部長もやり、印刷子会社の役員からテレビ東京系列の九州のテレビ局の常務から社長・会長を歴任。この6月に退任して東京に戻った。
 で、年内に一度会おうという約束が先週金曜日にようやく果たせた。テレビ局の東京支社が新橋にあり、月に一度はメールチェックのため顔をだすとのこと。待ち合わせは新橋駅前の蒸気機関車の前だ。新橋サラリーマンサンキュチュアリだけあって、忘年会なのかサラリーマンでごった返していた。
 新橋には1軒だけ知っている店があり、そこに出張ったが満員。銀座で1軒だけなじみのバーに電話したが開店は8時とのこと。で、通りがかりに見つけた魚の店に跳び込んだ。2年に一度は「坊や、元気?」と電話していたから、心筋梗塞で死にかけたとか前立腺の手術をしたことは知っていたが、8年ぶりに会う「坊や」はやはり、年齢を重ねた感じ。とはいえ、相変わらず河内弁は健在で、安心した。
 8年の博多滞在ですっかり九州ファンになった憲ちゃんは、邪馬台国の九州説を強調し、あの話題この話題であっという間に2時間。帰り際、自分のブルゾンのポケットにねじ込んだマフラーが「ない、ない」と騒いだのはおかしかった。ずいぶんと老人力が付いてきたみたい。
 今は、「部活」と称する日経の仲間との酒飲みが続いているようだが、暖かになったら、俺より下手そうだから、芝刈りに誘おうかな。

...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: