東京社会部の6方面(上野署など10署)のサツ回りから8カ月で八王子支局に飛ばされたら、K支局長が筆ペンを手にサラサラと何か書いていた。なかなかかっちょいいなと思い、以来、手紙などは筆ペンで書くようにしている。 ガキの頃、お習字を習いに行っていたことがあり、中学では書道の授業で書いた「流水」の文字が選ばれて、視聴覚室の壁に表装されて張り出されていたこともあるのだ。今は年賀状の宛名書きの時くらいしか、集中して筆ペンを持つことはないが、ヒマになったら墨と硯を用意して字を書いてもいいな、と思ってはいるのだ。 俺は苗字から「ガンちゃん」と呼ばれることもあり、それで「顔真卿」の名は中学のころから頭に入っていた。その顔真卿の特別展が「王羲之を超えた名筆」と題していま、上野の東京国立博物館で開かれている。おとといの休みの日、急に思い立って上野の山に出張った。入館したのが午後4時。閉館は5時とのことだが、さーっと見ればいいやと思った。 目玉は758年に書かれた「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」である。30分待ちの列ができていた。他の展示物をさーっと見てから、俺としては珍しく並んだ。書き間違えたところを線で消してあったり、25行の漢字の列の最後のところは激情から書くのが早くなっているのが見てとれた。上手いのかは俺にはよく分からなかった。 5時過ぎ外に出ると、冷たい風が吹いていた。新宿での7時半からの飲み会まで少々時間があったので、40年前毎日通った上野警察署を見に行くことにした。上野駅の東口はペデストリアンデッキができ、応時とは景色が一変している。 上野署の何階に記者室があったのかも忘れてしまったが、ちょっと場所が奥に引っ込んだのかなぁ。何か6方面管内に事件が起きると、各社の記者のポケベルが一斉にピーピー鳴ったことを思い出した。あのころは「ポケベルを鳴らしたのに、何で連絡してこない」とデスクに言われると「地下鉄に乗ってました」と答えるのが常だったなぁ。 |
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