西国分寺の拙宅のリビングの壁にはいろいろな額が掛けられている。30年前から知っているボタニカル・アートのゆきさんの「白いデンファレ」の絵、女優あきらちゃんの兄貴が描いた顔のような油絵、30年来の知り合いの元広報ウーマン、けらちゃんの旦那で書家の手になる「亀」と名付けた篆刻、タイでゴルフの傍らパソコンで作画しているナンコーのまんだらのような絵である。 もう1点、作者は知らないが青を基調にした港をテーマにした版画もある。この版画は14年前西国に引っ越した時、古くからの知り合いの編集者、M嬢から記念にプレゼントされたものだ。たしかあの時は十点ほどの中から気に入ったこの作品を選んだのだった。 M嬢のことを俺は「アポ取り名人」と敬している。トップインタビューのアポイントを苦も無く入れてしまうのだ。まず、狙いを付けた 社長さんに水茎麗しい依頼のお手紙を書く。それが読まれた頃合いを見計らって電話を入れ、鈴のような声でインタビューを申し込む。どんなに忙しい社長でも、30分くらいの時間はある。この声美人で字の美しい人はどんな美女かと思わせればしめたもの。一発でインタビューのOKが出る。あるときは「Mに急用ができまして」と代打のアンちゃんがインタビューに赴き、社長さんをえらくガッカリさせたとか。 そのM嬢から先々週「お元気ですか?私はちょっと大病をして、今ようやく足慣らしを始めたところ」という電話があった。お互い老い先知れぬ身。「こういうのはすぐ日取りを決めよう」とおとといの夜、新橋駅前で待ち合わせ、バイト先が入っている高層ビル最上42階の料理店で夜景を見ながら2時間程歓談した。 賀状のやりとりは続けていたが、直接お目にかかるのはの版画をいただいた時以来か。彼女の大病は大動脈の血管がはがれかかるという恐ろしいもので、取材先で気分が悪くなり、幸い同行者がいたため、事後措置が適切で一命を取り留めたという。そういう運も大事だ。 お互い×イチという境遇のため、今まで話したこともなかった元配偶者や子どものことも話題になった。落ち着いた口調で鈴のような声で問われるとついついしゃべってしまうものだ。聞き上手ってのはいるもんだと感心した。 「経済モノの原稿なんて十年もたてば読むに堪えないものになる。その点、文化関係は色あせないね」と言ったら「親戚筋に作家がいます」と言うので、売れない作家かなぁと思い「誰?」と尋ねたら「谷崎潤一郎」という。30年も付き合っていて、こりゃ大発見だったなぁ。 × × × × あすは大学バドミントン部同期による3組のゴルフコンペのため「明日休診」です。 |
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