隠居志願のつぶやき2017

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...... 2019年04月09日 の日記 ......
■ 2代の経済部長   [ NO. 2019040901-1 ]
 記者になって十年、83年に希望もしていなかった経済部への異動の内示を受けた。当時、警視庁詰めの警備公安担当。82年暮れに自治労が大ストライキを打つ構えを見せ、M委員長を逮捕しようとする当局の動きがあり、1人だった担当を2人に増やしてもらったばかりだった。その時捜査二課担から公安に来てもらったのが、のちの外信部長のNくん。ところが自治労が戦術ダウンし公安担当に2人もいらないという感じになっていたのだ。
 志望もしていないのに経済部かとブーたれたら、警視庁キャップから「みんな行きたがっているんだ。文句を言うな」と言われ、上は下のことなどあんまり考えてはいないもんだと思い知った。
 経済部最初の持ち場は通産省(現経済産業省)。周りで話される言葉は火星語のようだった。通産は5カ月でクビになり、今度は大蔵省。通称「ザイケン」(財政研究会)という記者クラブにぶち込まれた。最初は天王星語のようだった。ここには懲役2年1月。シーリングを3回、予算編成を2回担当させられた。
 当時のNHKのキャップに矢田壮一という人がいた。べらんめいのおじさんで後に経済部長も務めた方だが、解説委員になった直後にがんに罹り、病床で「生きて迷わず、死して悔やまず」(92年刊)という単行本を書いた。その中に読売の記者になったばかりの長男に贈る「息子よ、ジャーナリストたれ」という記者の心構えを記した章があった。
 先日、読売新聞経済部編「インサイド財務省」という本を読んだら、あとがきに矢田俊彦経済部長が、部長になって5日目にこの紙面企画をスタートさせたとあり、「私事で恐縮だが、NHKの経済部長も務め26年前に他界した父が、書き残したものの中に『官僚の道を選んだのは権力欲のためではないはずだ。日本という国をよりよい国にしたい。日本国民に幸福になってもらいたい。そのために己の能力を国家官僚として十分に発揮したい。そう考えてのことだろう。その官僚としての初心を貫いてほしい』という下りがあった。まるで今の低迷する財務省を論評するかのような文章だった」という記述があった。
 父親が亡くなったころは、新人記者だった男が今や大読売の経済部長かと、少々感懐を覚えたのだった。

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