21日は統一地方選第2ラウンド。これまで棄権したことのない俺も東京競馬場に出動する前に近所の小学校に行き、国分寺市議選の投票をしてきた。きのうの朝刊には俺が投票した女性候補がスレスレで当選しているのを確認。40年前の福島市議選の取材を思い出した。 国分寺市議選は定数22に立候補者29人だが、79年の福島市議選には定数44に60人余が立候補していた。同時に行われた市長選は楽々締切に間に合ったが、市議選の開票は市長選の後で、真夜中になり福島版の締切には確定票が間に合わない。で、地元の印刷屋に頼んでA4の一枚紙に投票結果を印刷して、チラシの形で新聞に折り込むことになった。 この締切が午前2時。印刷屋には選挙取材をしたことがないT支局長が待機した。俺は開票所の市体育館に詰めた。午前1時過ぎだったか44人の当選者全員をチラシ号外に入れたいと支局長から電話。この段階で2000票以上取っている候補が40人いたので、この40人には「当」を打ったが、残る4人がどうにもならない。1800票以上を集めていた候補者が10人いたのだ。 「『ヤマ』を見たって分かんないんですよ」と支局長に電話口でがなったが、Tさんは「ヤマ」を理解できない。投票用紙を200票ずつ束にして開票所に積み上げてあるのを「ヤマ」というのだ。残りの票は候補者の名前が書かれた状差しのようなケースに入れてあった。 夜中の1時。開票所の職員の気も緩んでくる。で、地元紙の連中と開票所になだれ込み、状差しの前まで行って、実際に手で数えることこそしなかったが、目分量でA候補は80票、B候補は20票、C候補は60票と見当をつけ、上位4人を割り出し、44人全員の「当」を印刷屋に連絡した。 それで結果は間違っていなかったのだが、確定票が出てからゾッとした。47位と踏んだ「斉藤氏」が次点の45位に滑り込んでいたからだ。あの時の選挙では斉藤姓が7人、佐藤姓が4人立候補しており、苗字だけ書かれた票は得票数に応じて票がプラスされる仕組みになっている。これを「案分」というのだが、47位と踏んだ斉藤氏に数十票の案分票が乗り、次点まで行ったのだった。 選挙の当落の打ち間違いは結果がはっきりしているだけに、致命傷である。今は開票所になだれ込むようなまねは出来ないだろうが、40年前の津軽選挙では開票所が突然停電し、対立候補の票を食べちゃうなんてことも日常茶飯事だったのだ。
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