きのうのNHK「歴史秘話ヒストリア」はジャストのタイミングで5・15事件を取り上げ、非常に面白かった。1932(昭和7)年、海軍の青年将校が凶作による娘の身売りやら、欧米の列強に頭を押さえられ軍縮に応じた日本を「革命」せねばと、当時の犬養毅首相をピストルで暗殺した5・15事件。しかし、番組では青年将校らはちょうど来日していた喜劇王、チャップリンの暗殺も企てていたというのを大きなテーマにしていた。 今回始めて知ったのだが、チャップリンは広島生まれで15歳の時アメリカに移住した河野虎市(1885年生まれ)という男を、最初は運転手に雇い映画にも端役で登場させた。河野はチャップリンの信頼を勝ち取り、ついには予定などの一切を取り仕切る秘書になる。 チャップリンが映画をちょっと離れ、生まれ故郷の英国や欧州を旅行し、シンガポールを経て日本を訪れようとしたとき、河野秘書は日本に先乗りして、首相の秘書官だった犬養健に官邸訪問を依頼される。当初の来日予定は32年5月16日となっていたため、海軍青年将校はいったんチャップリンの暗殺を断念するが、日本への船が早く着き、5月14日夜、チャップリンは東京に着く。そこで河野はチャップリンに皇居前で車を降り、宮城に向かって一礼するように頼む。これに応じたチャップリンのことは15日の朝刊に大きく取り上げられることになる。 犬養健はホテルにチャップリンを訪ね、15日の官邸訪問を要請する。いったんは受けたものの、チャップリンは大相撲見物を理由にこれを日延べした。それで、喜劇王は凶弾から逃れることができた。犬養首相の死後、官邸を弔問に訪れたチャップリンは、暴力の現場に佇み、深く気持ちを動かされる。その後ヒトラーを風刺した「独裁者」などの作品を作ったチャップリンは、人種や性別、貧富にとらわれない自由人だった。 番組によれば、日本から米国に戻った河野は、チャップリンの愛人で女優のポーレット・ゴダードの浪費をとがめたことから、チャップリンから秘書をクビにされ、第二次世界大戦中は収容所に入れられたが、戦後は日系人の権利擁護の運動に尽力したのだとか。 チャップリンは河野と知り合ったことで、すっかり日本びいきになり、使用人17人全員が日本人だったこともあるという。あのチャップリンにそんな日本生まれの秘書がいたことを昨夜初めて知り、87年前の5・15事件にちょっと思いをはせたのである。 |
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