物心ついた時からずっと中央線沿線で暮らしている。小2の3学期に千葉の習志野市から小金井市に引っ越しし、中学は地元の東小金井駅から西隣の武蔵小金井駅まで1駅乗った。高校は世田谷にあったので、東小金井から新宿、渋谷を経由して東横線で4駅の学芸大学まで通った。 大学は1、2年の前期が小平までチャリ通、後期は国立まで中央線を西下した。初任地福島から戻って28歳で結婚した直後には国立の借家に移り住み、警視庁を担当していた32歳の時は最終版配達地域の小金井の実家に住んだ。経済部に移って実家を出ることになって引っ越したのがやはり中央線沿線の国立。今の西国分寺の弟所有のマンションに住むようになったのは14年前。GCLA (グランドセントラルレイルロードエリア)一筋の人生である。 中央線のシンボルカラーはオレンジ色で、車体にその色の太い横線が入っている。ちなみに山手線が黄緑、京浜東北線がブルー、総武線が黄色だ。先日、車体全体がオレンジ色の電車に乗り合わせた。側面に中央線(新宿‐八王子間)開通130周年のワッペンが描いてあり、130周年記念の特別編成と分かった。 それで、社会部八王子支局にいた40年前に「中央線」という企画記事を書いたことを思い出した。あれはたしか、瞬間湯沸かし器というあだ名があったK支局長のアイデア。中央線開業90周年をヒントに都内版に写真つき100行の原稿を十数回載せたのだ。 俺は東中野から立川までただただ東西に一直線に走る中央線の成り立ちを紹介する1回目と、駅前にまだネギ畑があった東小金井駅(東京オリンピックの64年に請願駅としてできた)の回を担当した。記事を書くために東京‐高尾間を3往復くらいした記憶がある。 いまも週3回の校閲バイトで新橋まで行く日には西国分寺駅から満員電車の中央線に乗る。ダイヤ通りなら60分で着くはずだが、ラッシュ時には2分間隔で運行されているから、病人救護の影響などで毎日のように遅れる。大昔のようなすし詰めということはなくなったが、新聞はとても広げられない。そうそう、電車の中で折りたたんだ新聞を読んでいるのは俺一人で、みんなブッチョウヅラをしてスマホの画面に見入っているのだ。 |
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