わが友、赤司ががんで逝ってからこの10月で丸8年になる。毎年命日の10・28前後にはピアニストのK嬢らが杉並の豪邸に集まり偲ぶ会が開かれ、ピアノの演奏と一品持ち寄りの珍味に舌鼓を打ち、夫人特製のボルシチを賞味したものだ。赤司の家では20年も前から3カ月に一度、ホームコンサートが開かれ、記者だけでなく彼が新紙面の企画などで知り合ったデザイナーとかイラストレーターなど、ちょっと毛色の変わった人たちでにぎわっていたのだ。 その杉並での偲ぶ会をことしは7月下旬にしたいと先日、夫人から連絡があった。そうか、ついに次のステップに踏み出すのか。根性あるなぁと思わざるをえなかった。赤司が亡くなって2年後か、夫人は自宅の一角を改装し、小さな喫茶店を開き、赤司が収集した切手とその解説記事、陶芸家の妹さんの作品などを飾ったりしていた。が、一念発起、杉並の家を売却し、長野県は諏訪湖の畔に陶芸工房と喫茶店用の土地を見つけ、同居している夫人の母親と妹、介護士の二男坊の4人で移り住むことにしたのだ。 夫人は赤司と同い年だから、70歳からの転身である。「すごいねぇ」と言ったら「前に進むしかありません」。8月末には長野に引っ越し、仮住まいをして来年早々、陶芸工房と喫茶店をオープンさせるとのことである。 転居費用は60坪の豪邸を売却して得るお金を充てる。「幸い、この場所が気に入ってくださった方がいて、売れました」。「あそこなら億でしょ」と尋ねたら「残念ながらそこまでは行かないの。9000かな。7000と言った業者もいました」。自己都合の売却だと、足元を見られるのかもしれない。 しかし、70歳から新たな土地に一旗揚げるなんてなかなかできることではない、今は来月末の偲ぶ会の盛況を祈るのみである。 |
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