俺が新聞社に入った46年前は、新聞社の経営は販売と広告の両輪によって成り立っているといわれていた。新聞の販売代金と紙面に載せる広告収入によって得たお金を、ベラボーにコストのかかる編集作業に費やしている。他の収入は合わせても1割に満たない事業・出版の売り上げである。 ところが、1990年代半ばにインターネットが生まれ、活字離れが進むに連れ、新聞の部数は徐々に落ち始め、今や都内で新聞を購読している世帯は半数を割った。となると販売収入はジリジリと下がる。それよりも落ち幅が大きいのは広告収入である。竹橋の新聞社の広告収入は21世紀に入って毎年100億円ずつ激減するありさま。 一方、インターネット広告は、俺がメディアセクションにいた2000年前後は、オールジャパンの広告費が6兆円とされているなかで、2000億円程度でラジオの広告費を抜いたと言われていたのに、あっという間に新聞広告を追い抜き、今年中にテレビの広告費を抜く勢いとみられている。 18年の6.5兆円の広告費のうち、テレビは1.9兆円(前年の98%)、新聞は4700億円(同93%)、雑誌は1800億円(同91%)、ラジオは1200億円(同99%)であったのに対し、インターネット広告は前年比16%増の1.7兆円まで達しているのだ。 「金の切れ目は縁の切れ目」とか。稼ぎの少ない新聞社の広告局の存在感は薄れ、昨年春、竹橋の新聞社は広告局の名称を廃止し営業局と名を改めた。営業局を担当する役員は社会部上がりの事業本部長のHくんである。広告プロパーの人間のモチベーションが下がったことは想像に難くない。 昨日、竹橋の新聞社の株主総会があり、今朝の新聞によるとグループホールディングスの人事欄に取締役広告担当としてTくんの名前があった。新聞社単体の役員欄には相変わらず営業担当営業総本部長のところにHくんの名前がある。昨年消えた「広告」の名称がホールディングスの方に復活したのだ。 そんな動きがあることも知らずに、きのうは昔からの遊び仲間のTくんに週末の中国語勉強会の設営をお願いしていた。Tくんは「広告」の復活に期するところ大みたい。古い人間の俺なんか、やっぱり「営業」より「広告」の名称の方がいいと感じる。こういう”戒名”というのはとても大事なのである。
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