50年以上も前、小金井にある国立大の附属中学で3年間過ごした。ここはなでしこが校章で、学年章の色が赤、青、緑と3種類あり、俺たち17期は緑。俺らの学年までは3クラスで18期からは4クラスになった。なにか生徒が問題を起こすと、親を学校に呼び出す自信たっぷりな中学だった。先生方はほとんど他界したが、3Bの時の担任、国語のマンタロウはまだ元気で、同期会には必ず駆けつけ、会場の片隅で一緒にタバコを吸っている。 教師と同様、ユニークな生徒も多かったが、俺たちの学年で一番早く世に出るのは、いづみこだろうというのが、衆目の一致するところだった。ピアノが抜群にうまいらしく、芸大附属高から芸大に進み、パリに留学してナントカ音楽院を首席で卒業。80年の日本での凱旋公演のパンフレットには俺も宣伝文を書かされた。 クラシック音痴の俺もその縁で年に1回のリサイタルには眠りに行かされることになった。今や大阪音大の教授でドビュッシーの研究では相当なものらしい。そのいづみこは文章もうまく、祖父の一生を取り上げた「青柳瑞穂の生涯―真贋のあわいに」(2000年刊)は日本エッセイストクラブ賞を取った。09年の「六本指のゴルトベルグ」は講談社のエッセイ賞を受賞している。 そのいづみこの文章をきのうの毎日夕刊文化欄コラム「このごろ通信」で見た。楽器が一番よく鳴るスイートスポットをテーマに、導入部に直木賞を取った「蜜蜂と遠雷」で、養蜂家の息子で自宅にピアノをもっていない奔放なピアニスト、風間塵がステージにぺたりと座って床に耳をつけ、ピアノやオーケストラのいろいろな楽器を動かし、音を聴くというシーンを取り上げていた。 うまいもんだと思い「『蜜蜂』から入ったのが正解」とメールしたら、「あ、今日出てるの?新幹線でスマホで書いた」と返事が来た。あのコラム、ひと月交代だったはずだから、今月の月曜の夕刊が楽しみになった。 |
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