中学高校時代の仲間で「小金井会」をつくり、年に2、3回集まっていることは何度もつぶやいたが、名前の通り小金井にあった国立大付属中学時代の仲間が、世田谷にあった付属高校に進み、そのつきあいが50年以上続いているというわけだ。 これに対し、高校からの友達というのはあまりいない。中学の軍隊式の鍛え方が強烈で、その波をかいくぐったという仲間意識が強いのに対し、高校は4つの付属中学と外部からの入学者で成り立ち、この5つの集団が3年間最後までなじみ合うことが少なかったからだと思う。 先週土曜日には高校の同窓会があったらしく、小金井会の仲間2人が出席したと事後に連絡をくれたが、俺のクラスは幹事もおらず連絡もなかったので、別の用事に出かけた。高校にはあまり愛着がないんだよね。 4つの付属中学のうち、俺の小金井(しょうがねえ)と世田谷(よたがや)が2大勢力で、都会派の世田谷出身者と田舎者の小金井出身者との間には大きな溝があった。「異人」とも呼ばれた外部の公立中出身者はベラボーに成績がよく、性格もヒネたのが多かったから、あまりお友達になる気もなかったなぁ。ただ、美人は付属大泉中出身者に集中しており、指をくわえてみていた。 俺は3年間剣道部だったが、隣で練習していた柔道部のこわげなキャプテンを松井清人(きよんど)=世田谷中=といった。卒業時のクラスは3Cだから、俺のD組の隣だ。割と寡黙な男だった。大学卒業後、文芸春秋社に入ったことは聞いていたが、週刊文春や月刊文芸春秋の編集長を務め、社長にもなり、昨年退いたのにはちと、驚いた。獰猛な印象しかなかったからだ。 その松井がデスクとして一番仕事をしていた1990年代を振り返る「異端者たちが時代をつくる」をこのほどプレジデント社から出した。オウム事件、統一教会事件、少年事件の実名報道、「少年A(酒鬼薔薇聖人)の事件」……。その事件報道の真ん中に松井はいた。退職のお祝いに購入して一読。いい仕事をしてきたことが分かった。社長を辞める時は、後任人事に関し、あまりいいことを書かれなかったのだ。 × × × × 今週の拙宅の花は、「ライカ」という濃いピンクの大輪のバラとピンクのブバリア、それに白いアルストロメリアです。 |
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