昨夜は元政府高官F氏とバイト先近い新橋で酒を飲んだ。大蔵省の課長になる前の企画官時代に知り合ったから、もう30年以上の付き合いになる。元号制定の裏方を務めたこともあり、平成から令和になる時には、何度も彼の顔写真が新聞紙面を飾った。それで新時代になったら、一度やりましょうと話していたのが実現したのである。 俺の新元号についての興味は、漢籍・和書の中から選ばれた6案の中から、どうやって「令和」に誘導したのかという点にあるのだが、そんなことをストレートに尋ねても答えが返ってくるはずもない。かつてF氏は「天皇が海外に行くときが一番イヤだった」と話したことがある。飛行機が墜ちるような事態があれば、次の元号の制定作業に直ちに取りかからねばならないからだが、「今回は新元号祝賀の明るい雰囲気の中で進んだから、よかったよ。俺も肩の荷を下ろした感じ」とのことであった。 マンション管理組合の役員になった話をすると「俺も若いころ財務担当の副理事長をやり、うるさいことを言う人がいて、えらい目にあった」とのことだった。 話は最近いろいろ物議をかもした財務省の後輩たちにも及び、森友問題で粘りに粘った佐川宣寿元理財局長が前頭東四枚目に載ったことのある「財務省恐竜番付」について、「秘書課が監修して作っていた。次官OBの会にも届けられていた。俺の名前も載っているが、恐竜にもいろいろあって、仕事をメチャクチャにやらせるとか、簡単にうんとは言わないとか全部で4タイプあるんだ」と面白い話を聞かせてもらった。 どういう話の流れだったかおぼろだが、自分の人生を漢字一字に例えるとどんな漢字という話になり、俺は「恕」という字を挙げたのだが、検査も査察も査定も手掛けたF氏は「俺は『査』だなぁ」。昭和の時代なら勲一等に相当する叙勲も受けているおじさんが、課長補佐にもならない「主査」の「査」かよ、と思ったのである。 |
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