目黒考二という人がいる。1946年生まれで、76年に作家、椎名誠と「本の雑誌」を創刊し、2000年末まで発行人を務めた。その目黒が書評を書く時のペンネームを北上次郎という。趣味の競馬評論を書く時のペンネームは藤代三郎。名前が3つある面白いおじさん。本の雑誌社は、今、一番本が売れるという「本屋大賞」を仕掛けた出版社だから、目黒の功績はそれだけでも大きいと言える。 その目黒が北上次郎名で「書評稼業四十年」という本を出した。バイト先が入っているビルB2の書店で月曜日に見つけ、先ほど読了した。目黒の著作は「本の雑誌風雲録」(85年)、「酒と家庭は読書の敵だ」(97年)、「笹塚日記」(2000年)のころから親しんでおり、その読書人ぽくないあちこちに飛ぶ書きっぷりはなかなか楽しいのだ。 この「書評稼業」には本を読んで暮らしたい、それ以外はどうでもよかったという思いから「本の雑誌」を30歳の時に創刊した思いや、今、書評家として知られる大森望、香山二三郎、新保博文らを学生時代から知っており、集まってはワーワーやっていた70、80年代の出版事情、中学までは1冊も本を読んだことのなかった目黒が、貸本屋で手にした松本清張の「点と線」にたまげ、高校時代に清張、黒岩重吾、源氏鶏太、笹沢佐保の本を全て読破した高校時代、66年に五木寛之が書いた「さらばモスクワ愚連隊」を読んだ時の衝撃、などが素直な筆で綴られている。 ペンネームの北上次郎(きたがみ・じろう)の由来は、個人雑誌を作っていた時、発行人は本名で、1ページ穴が開いて何でもいいからペンネームをでっち上げて書こうと思った時、北上川のイメージが頭をよぎったからと言っておいて、「北上川は本当はキタカミガワ。キタガミではない。誰に迷惑をかけるわけではないから、そのまましているが」と書く。 40年心掛けているのは「締切を守ること。締切のサバをよむのはかまわない」というのもおかしかった。さっき帰宅前にこの書店に寄ったが、もう平積みから姿を消していた。これはという本を見つけたら、すぐ購入すべしとというのを今更ながら、思い知ったのである。 |
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