きのうの夜は竹橋の新聞社の経済部OB会に出た。場所は新聞社のビル9階にある高級レストランである。ここの眺めは最高なのだが、お代が高いのが玉にキズである。スタートは18時からだが、アルバイトの勤務時間は10時から18時まで。バイト先の新橋からでは開始時刻に間に合わない。正社員ならちょっとお先にという芸当も可能だが、アルバイトにそういう自由はない。しかし、フレックス勤務で直属の上司は16時に、正社員のおばさんは定刻の17時半にピタッといなくなる。で、2年半のバイトで初めて17時40分に仕事場を抜け出した。 OB会は会社が50歳以上の社員に早期退職を募っているため、どことなく気勢が上がらない。出席者の数も少なめ。と、栃木の新聞社の東京支社長Mくんが顔を出しているのを見つけた。現部長のYくんや前部長のSくんと親しげに話している。彼は15年ほど前、竹橋の新聞社に2年間内地留学していたことがある。その時の仕事ぶりが仲間意識を生んでいるのだろう。 俺が栃木にいた時は、将来の大幹部にはいろいろな名店を知っておいてもらいたいと、3カ月に1回はMくんらとうまいもの屋巡りをしていた。で、その話の輪に加わっているうち、広告担当役員で麻雀仲間のてっちゃんにつなぐ約束をMくんとしていたことを思い出した。で、きのうの夜から今日にかけ、てっちゃん、Mくんと連絡を取り、会食の日時をセットした。こういう仲立ちをするのは、何年ぶりだろう。 現部長のYくんと親しく話すのは初めてである。大学の後輩で、そのOB会で活躍していることは知っていた。「きみ、出身高校はどこ?」と聞いたら、甲子園に出たこともある宇和島東という。田舎の天才なのかもな。学生時代は小金井の愛媛県人寮に住んでいたとか。小金井は俺の地元。それで話が弾んだ。 通常この手のOB会に社長は冒頭顔を出してすぐ消えるものだが、現社長の丸ちゃんは最後まで歓談の輪の中にいた。新聞社は活字離れによる部数減で、経営はどこも苦しい。「大変だな、こんな時の社長は」と声を掛けたが、こちらとて部数増の秘策があるはずもない。新聞が光り輝いていたいい時代に現役生活を送らせてもらったという感を深くしたのだった。 |
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