けさバイトに行く途中の中央線でビックリすることがあった。このところ西国分寺駅前の「エ・プロント」でモーニングを食べていたのだが、たまには新橋駅前のサラダ・ドレッシングがおいしいカフェで朝めしを食おうと思い、いつもより30分早い電車に乗った。 あいにく座れずずっと新聞を読んでいたところ、中野で「○○さん」と呼び掛ける声がする。「Sです。少しお若いかなと思ったけれど、新聞を読んでいらっしゃるので間違いないと思って」と声を掛けてきたのは、三井物産の広報室長の秘書を長年務めてきたキャリア・ウーマンの走りのES女史だった。 今は神田にある関係会社に勤めているとかで「とおねん取って54歳。来年は定年です。孫が8歳なの」とはとても思えぬ若々しさである。このS女史、第2子を出産するときはチャリに乗って産院に行ったというエピソードがある方。貿易の記者クラブ所属の経済部記者が朝一番で大手町の物産広報室に顔を出した黄金期の物産広報を支えた女性だ。 そのたおやかさ、しなやかさ、リスポンスの速さに感服し、30年以上も賀状を交換しているが、直接会うのは20年ぶりか。中野から神田までの電車内で物産マンの消息や他業界の広報ウーマン、竹橋の新聞社の女性記者の動向などについてなつかしく歓談した。 俺など20年間一度も会っていない後輩のK女史とも「ひと月前に飲みました」。伊勢丹の名物広報ウーマン、玉ちゃんが「今はエステ関係の会社に出向していてお客様相談室長をしている。きれいにマニュキアしちゃって」と伝えたら「似合わないな」と断じた。とにかく大お局様だから、どうしてそんな人のことまで知っているのかという感じ。 「週3日の校閲バイト。目が疲れる」と話したら「そのぐらいがいいわね。今は本社じゃないので、伸び伸びできていい。きょうは防災訓練だからスニーカーで来たの」。神田で降りる彼女と一緒に、乗り換えのためホームのエレベーターに乗ったら「あたしもいつもこれ。体力を温存しないと」と言うので、笑った。 電車の中で会う偶然に、ラオスで拘束された社員の事件で「物産・危機管理の初動の12時間」という割とオモロイ原稿を書いたのを思い出した。この原稿のキモは、被害に遭った社員の家族には一番篤実な人間を付き添わせるというものだったなぁ。 |
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