金曜日は竹橋の新聞社の同期15人による年1回の同期会が、いつもの四谷の貸切蕎麦屋で行われた。俺は十数年前、人事総本部長だったKから「永久幹事」の辞令を受け、連絡係と当日の司会役をずっと務めている。現在俺が把握している同期のメールアドレスは22人分。 9月に同期会のお知らせをメールで出したら、1人は町内会の行事、1人は会社のイベント、仙台に住む1人は震災ガイドの日とぶつかり、1人からは「この手の会合はもう遠慮したい」と連絡があり、3人はメールに返事も寄こさなかった。まぁ、卒業して8年もたって15人も集まれば十分だろう。 司会役の要諦は30秒でもいいから、出席者全員が主役になること。数千両の会費を出し、酒を飲んで他人の話を聞くだけでは、日本で一番エライと思っていた元記者たちの矜持が許さないだろうと思うからだ。それでアットランダムに指名して、近況などを話してもらう。「奥から順に」などという方式では、下の方の緊張感がなくなるし、他人の話もきちんと聞かなくなる。それで台風被害に遭った千葉県つながりとか、東西線利用つながりとか、ネクタイをしている者同士とか、頭のハゲ具合が似てきたとかで次々に指名していくのだ。 今回の同期会には16年前の7月に胆管がんで一番早く天国に行ってしまった社会部育ちのNくんの奥方が特別参加した。46年前の駆け出し静岡支局でNくんと一緒だったMくんが連絡を取ってくれ、いい感じの十七回忌となった。奥方は帰り際、Nの郷里、青森のしゃれたリンゴの干菓子をみんなに配ってくれた。これがなかなかしみる味だった。 今日のバイト休みは、写真部のKくんが送ってくれた当日の集合写真をみんなに郵送した。Nくんの奥方には、リンゴのお菓子のお礼と、Nが亡くなった時に書いたブログのコピーを添えた。55歳で亡くなった彼が、行けるところまで行こうと会社に出てきた時のことなどが記されている。読み返してみてちょっぴりセンチになった。 あれから同期ではやはり社会部で偉才を発揮したAが8年前に食道がんで亡くなり、昨年5月には役員も務めたTが敗血症性ショックで急死した。金曜に集まった15人の横顔からは神に召されそうな奴はいなかったが、こればっかりは分からんからな。 × × × × 今週の拙宅の花は「ブリランテ」という真紅の大輪のバラと白いストック、それに淡いピンクのスプレーバラです。 |
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