隠居志願のつぶやき2017

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...... 2020年01月21日 の日記 ......
■ 死後9年たっても   [ NO. 2020012101-1 ]
 85年8月に農水省を担当した時の官房長は昭和31年入省の田中宏尚(ひろひさ)さんだった。コーショーさんはその後、水産庁長官、林野庁長官を歴任し、同期の後藤康夫さんの後を継いで事務次官になった。日活の助監督試験を通ったという役人離れした洒脱な方で、官房長室前は記者の溜まり場だった。
 当時の農政クラブはA紙で夕刊コラムを書くことになるK、テレビ朝日のコメンテーターもしたI、のちに食品安全委員会の委員に天上がりする時事のN、共同の総務局長などを務めたT、北海道新聞の役員になったMなどうるさ型がそろっていたが、Nが幹事役となり、クラブを離れてからもコーショーさんを囲む会を3カ月に一度開くようになった。
 コーショーさんは9年前、77歳で他界したが、その後も啓子夫人と2人のせがれの嫁さんも呼んだりして、「コーショー会」はいまだに続いている。先週の金曜日夜、ことし初めての「コーショー会」がいつもの四谷の貸切蕎麦屋で開かれた。なんとそこには、いまだに夫の名前を冠した会が続いているのはうれしいと、啓子夫人も出席していた。杖をついて動きは多少ゆっくりだが、「みんな変わらないわね」とニコニコして口の悪い連中の話を聞いておられた。夫人はコーショーと室蘭栄高校の同級生だから、86歳か。
 浦安のコーショーさん宅で大宴会が開かれたこともあるし、みんな夜回りでコーショーのところには寄っていたから、啓子さんも違和感はないのだろう。嫁さん2人と出席した13年5月の会では、宴会費用は田中家で持つと押し切られてしまったが、今回は多数決ということで夫人の分はみんなで分担して持った。
 農水事務次官といえば最近長男を殺した熊沢英昭が世間を驚かせたが、顔の広い啓子さんも「まったく知らない」とのこと。Kは熊沢の長女が自殺している事実を新聞が書かないのはおかしいと力説していたなぁ。コーショー死して9年。みんなヒマで行くところがないから、「コーショー会」は当分続くだろう。しかし、もうコーショーのような役人は出ないのではないか。

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