日曜日、毎日新聞のサラリーマン川柳蘭(第一生命提供)を見ていたら、「『やせなさい』腹にしみいる 医者の声」というのが載っていて、笑った。これ、松尾芭蕉が奥の細道紀行で、山形県立石寺で詠んだ「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声」をベースにしていることはすぐ分かる。”本歌”がよく知られているほど、”本歌取り”は受けると思われる。 本日、立春。それにふさわしい和歌というと、大昔、古文の授業だったかに出てきた「石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」というのが思い浮かぶ。これは万葉集に入っている志貴皇子の歌で、最初の五文字は「いしはしる」ではなく「いわばしる」と読むのだそうだ。 この短歌、俺の苗字によく似ているので、歌の世界とは縁遠い人間だが、脳裏に焼き付き、石垣島に住むかつての同僚の美人歌人の作「櫂一つ渡され舟を漕ぐ夢に 目指すべき島探しあぐねて」とか、官庁回りの女性記者のせつなさを詠った「官庁の長き廊下を屈辱のごとくヒールの音冴え渡る」と同様、スラスラと口をついて出る。昔は娯楽が少なかったから、愛唱する短歌に二つや三つを持つ人も少なくなかったのではないか。 15年ほど前か、「石走る」を見ていて、冒頭の川柳のような思いを抱いた。で、もじって創ったのが「石走るたるみの腹を如何せん お菓子止めてもあかんとぞ思ふ」というやつだ。この前、69歳の誕生日を前に「さわらびの」の五文字をなんとかしたいと思いつき、改良を加えたのが「石走るたるみの腹のふくらみは お菓子止めてもあかんとぞ思ふ」というのだ。 1年前、血糖値が高いというので大好きなお菓子断ちを決意し、値は見事に下がったのだが、腹のふくらみ具合は妊娠8カ月程度とあまり変化はみられない。「さわらび」と「ふくらみ」の語感は割と似ていて、よいのではと一人悦に入っているところをつぶやきでも紹介することにしたのである。 |
|