隠居志願のつぶやき2017

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...... 2020年02月13日 の日記 ......
■ 文化の日にゼミの会   [ NO. 2020021301-1 ]
 校閲バイトの相棒の出番の関係で、祝日の次の平日も休みになったきのう、大学時代のゼミの仲間から「みんなで集まろうよ。幹事は○○(俺のこと)がやって」と頼まれていたのを思い出した。1年半前、200人以上が集まった卒業45周年の同期会で、久々に逢ったゼミテンから「ゼミでも一度集まろうよ」と言われた。「それなら古稀になる2年後」と話していたのだった。
 俺が属していたのは黒人問題の権威、本田先生のゼミ。神戸大から移られたばかりで、我々が一期生。初代ゼミテンは10人いた。翌年からは「きみたちで懲りた」と数人に絞ったとか。ゼミの後、雀荘に直行する遊びグループが俺など5人と真面目グループ5人(女性も1人)に分かれており、卒業後は全く真面目グループとの付き合いはなかった。
 一方、遊びグループはそのうちの1人が東証2部上場企業の社長に就任したお祝いで集まったのをきっかけに、もう十年以上、年2回のゴルフを楽しんでいる。昨秋の泊まり掛けの箱根ゴルフの時にこのゼミの集まりの話をすると、そういう会には無関心と思っていた遊びグループの面々が「いいね」と参加の意向を示した。
 ほおっておくと月日はすぐにたってしまう。で、きのうはゼミの会をやるなら文化の日だろうと考え、竹橋にある同窓会館内の和食の店に「7〜8人入れる部屋を」と電話し、「多摩の間」を押さえた。それから同期会で「幹事をやって」と持ちかけてきた真面目グループのHくんの家に初めて電話し「11月3日に会場を確保した。Tくんの連絡先を教えて」。
 程なくあった返信を基に、7人に「ことしの文化の日は空けておいて」とメール。きのうのうちに「出席」の返事が5人からあった。本田先生は既に19年前に亡くなっており、文化の日当日、いったい何を話したらいいのか。
 まぁ70歳まで生きてきた顔を見交わすのも悪くないか。卒業の年の3月にマスコミへの就職がようやく決まった裏には、先生がとんでもなく尽力してくださった秘話を、みんなの前で披露しようかな。先生の追悼文集にはこの大恩のことを書いたこともあったのだ。

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