隠居志願のつぶやき2017

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...... 2020年03月11日 の日記 ......
■ 9年前   [ NO. 2020031101-1 ]
 本日3・11。東日本大震災は俺が経験した大事件の中で、最も大きなものと考えている。その追悼式が新型コロナウイルス蔓延のため、中止となった。近間にウイルス感染者がいないこともあって、コロナごときにという思いは強い。
 当時はトホホのキャリアスタッフになったばかりで、月刊政策情報誌の編集部に属していた。あの日は確か御徒町にウオーキングシューズを買いに行っていて、なじみの商店街をプラプラ歩いていた。俺の東京での仕事のスタートは上野署を拠点とする6方面のサツ回りで、御徒町のあたりは取材のテリトリーだったのだ。
 と、古い商店街のアーケードがギシギシ揺れた。午後2時46分。外にいたのでは危ないと目の前の貴金属店に飛び込んだが、ここはガラスのショーケースが多くヤバい。で隣の金券ショップに移った。けっこう長い時間揺れた。この揺れだと地下鉄も山手線もしばらくは動かないとみて、喫茶店で時間をつぶすことにした。店内のテレビ画面で津波速報のニュースをやっていた。ガラケーのワンセグでもちらと見たが、電池の消耗を考えすぐに切った。
 余震がきて喫茶店もかなり揺れた。長くは留まれない雰囲気で、竹橋の会社まで歩こうと考えた。秋葉原、お茶の水。反対方向からヘルメットをかぶって帰宅するサラリーマンの姿を何人も見た。会社に着いたのは5時前ころか。編集部に着くと室次長のTくんが「全員無事確認!」と大きな声を上げた。
 翌12日には大学バドミントン部同期とのゴルフコンペが予定されていた。関西から参加予定のEから「どうも新幹線が動かず行けそうにない」と電話が来た。どうしようかなと思っていたら、不動産勤めのAから「きょうは自宅に帰れそうにない。ゴルフはやれないな」。そこで関東にも被害も出ていることを知り、同期にコンペ中止のメールを打った。
 会社に泊まらざるをえないと思い、食料調達のためビル内のコンビニに行くと、棚にはもうお茶とポッキーちゃんくらいしか残っていなかった。まぁ1日くらいは何とかなると思っていたら、中国語組閣幹事長のSくんから「きょうはどうします?」との電話。「会社に泊まるしかないだろう」と言うと「雀荘を開けさせます」。雀荘には若干の食べ物がある。そりゃグッドアイデアと、広告のエースと3人で卓に興じた。福島第1原発が大変なことになっているなんて全く知らなかった。
 当時のブログを読み返すと連日地震〇日目と書かれ、3月22日まで「地震12日目」のタイトルが続いている。いまのコロナウイルス報道を見るより気分は重かったことを覚えている。

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